4月11日(月) 曇り 震災から32日

*朝トレ:7時〜8時
相変わらず竹藪脇の雑木高枝から(?)ホーホケキョの挨拶、今日も爽快にスタートが切れたが姿は見えなかった、昨日の木とは別な木か?鳴き声は此所三日間甲高く聞こえるが、我れのアバウトな聞き取り方のせいか?

コースへ出るも薄曇り、此方のウグイスも二声、三声耳障りではない。歩行8本目頃、チュビ、チュビ、チュッピンと聞こえたが、直ぐに姿捕らえられた、コース.エンドから5㍍の、あの、木の高枝だ! コース.エンドのUターン箇所1㍍手前で回ったが、3往復後には姿が見えなくなった。今日のカラスは川原方向から巣のある林へ向かって飛来、つがいだった。倉井さん家の餌場には一度も下りない・電線にも一度も止まらない。

終末体操・ストレッチを終えて帰路、コース.エンド付近から雀の1軍(12〜13羽、大軍とまでは言わないだろう?)が飛び立った、鳴き声なし。堰堤階段の手前まで来ると、ギー、ギー、ぎゃー、ぎゃーと鳴き声、ざわ、ざわと小枝の揺れる音・竹藪、松葉のざわめく音がして20羽を超す(此方は体も大型だし大軍と呼ぶにふさわしいだろう)キビタキが木立、竹藪を抜けて飛び立った。いや、又林の中へ舞い戻った感じだ。葉のない木立だから枝を渡り歩く(飛び回る)姿が良く見える。当然ウグイスの送り声はなかった。

*今日は、朝トレのマイフィールド・マイコースに関するロケーションを記してみる。
清滝インターを下りて中善寺方面へ向かうと、左側に大谷川が流れる川原が上流、下流へと広がっているが幅は150㍍か? インターから1㎞上流の大谷川橋を渡り対岸の堰堤を下流へ200㍍ほど歩けばそこがマイフィールドだ。我が家からは5分でこの堰堤に上がる階段に着く。

このフィールド、下流へ向かい左側は勿論大谷川・川原だ、堰堤横幅は約4㍍、右側土手下は、青地から宅地が連なる。いつも我れが上る階段は5段、下流へ向かう右がわは、佐藤さん宅・西森さん宅・旧江連さん宅・空き地・山本さん宅・送電線鉄塔・周囲用地・倉井さん宅・外れからは堰堤後端まで雑木林(杉の木等もある)、各個人宅に連なる青地は、倉井さん宅をのぞき全て雑木林が繋がっている(松の木・竹藪等もある)。この青地の雑木林と川原に点在する雑木林、流れを作る大谷川、此所に何種類かの小鳥たちがテリトリーを構築し、巣を作って生活しているのだろう。

また、季節によって外部から招かざる侵入者もある。飛来する大型鳥は、サギ、トンビ、等(カラス、山鳥、キジ等はお仲間内か)・地上では鹿、さる、イノシシ、ハクビシン、アオダイショウ、(此所に熊は聞かないが、可能性ある)

その他に特筆すべきは倉井さん宅、この近辺の宅地、その突端に位置するので野生動物の近寄り易い条件ではある。鹿、猿の被害はこの辺一体の共通の悩みでもあるが、「特に」の感は否めなく、防御に余念はない。大型犬を二頭飼い、庭は木柵で囲い、鹿、猿等の食害から菜園を守っている。倉井さんは結構ユニークな生活をしているが、冬は常に暖炉を焚くので、じいちゃんは一年中薪集めをする、まめで、タフなお爺ちゃんだ(我れより3つ年下だが・・・)。昔「子鹿物語」という映画を見て子供ながらに凄く感激したことを覚えているが、そんな佇まいの家だ。毎年交換留学生を招いたりもする大らかさもある家族だ。此所に、リュウ君、シン君双子の1年生が居り、我が孫昂佑、友麻の兄弟が年に1、2度会うのを楽しみに日光へ来る。(今年も我が孫は、5月の連休に来るらしいが・・・)

*人生後半の暮らし、倉井さんの生き方は若い内からの設計図道理なのか?、心の豊かさには負けますね。一方keniti3545君は、家族と共に生きる生活設計など考えた試しもなかったでしょう?! ま、懺悔録は追々と・・・。

*「東日本大震災」被災から32日
・米軍・自衛隊の合同捜索隊22,000人体制新たに66名の遺体収容、頭が下がります合唱です。
・未だ、行方不明者の人数と死者を合わせると27,689人届け出のない不明者も多くあり、この人数は増える可能性大
・避難者は他県へ出た人も含めて17万人超
原発回復の歩が進まない、官房長官の言い回しも一進一退と!高濃度汚染水を早く移送して、作業条件の確保、今は 一回/1人 15分の作業しかできない劣悪な条件。
・甘かったと認めた原発非常時の備えは、今の時点で何か取りかかったのか?

統一地方選挙の結果、民主党敗退。勝側、負け側それぞれ真摯に受け止める必要はあるが今、議論は不要!挙党一致・一致団結、どれも説得力のない言葉に、むなしく聞こえる。こんな言葉は要らないから、政治家・行政が行動を起こさざるを得ないような説得力のある施策の提示と、指示の出せる指揮官がほしい!