4月2日(土) 曇り 被災から23日 (テーマ項目リストアップは3/27にあり)

*朝トレ:6時30分〜8時00分 今日の目覚めは朝の陽光によるものではなく、排泄要求感からだった。
コースは地肌が出て、二日前の雪道とは大違いだ。土のコースの靴音は如何にも大地を歩くという感じでごつごつという靴音だが、80メートル3往復ぐらいまではUPシューズに足の平が馴染まず、バタバタという音が耳に届く。

今日はカラスのつがいが電線に止まって時々なにやら会話を交わしつつ、じっと我を見守っている。このカラスは7時〜7時30分の間に食事をする倉井さん宅のワン君の残り物にありつこうと毎朝の日課として現れるのであるが、子育ての時期であればかなり遠距離からでも警戒感を示す。我れとはもう年間を通してのお付き合いとなっているが、確か少し前までは、(これまでの我の観察力、記憶力はかなりアバウトなところがあるので大きく違っていた記述は後日になっても訂正することにしようと思う)、つがいが二組姿を見せていたのが・・・?
今日は、ウグイスの下手な鳴き声(練習中?)やら、他の小鳥のさえずりも聞こえてきた。でも男体山を初め、周囲の山並みはまだ真っ白だ!

*「東日本大震災」:政府が正式呼称としてこう呼んでいる。NHK等もこれを追従するということだ。
原発は関係は、被害の拡大を心配する報道が多くなっているが、まだ源を立つ作業に大幅な進捗が見られない!
・高濃度汚染水の処理に米軍が大型援助、炉心その他の冷却水用として真水をタンカーにて大量補給!
自衛隊がメガフロート(鋼鉄の島)を使って汚染水の収容
・昨日のニュースで海運業の人が、海外での放射線風評に付いて言っていた。日本は、客観性のある・正確な・そして 説得力のあるデータを発信すべきだ!黙っているのは良くない!
・昨日各地の定点測定結果では、放射線数値が徐々に減少もしくは横ばい状態であるとの発表
・米軍・自衛隊の2万人規模の難易度高い水域での捜索で80人以上の遺体を発見


*今日のテーマ(回想):豪のこと
・子供の頃は:我れの影響もあって小、中、高とスポーツ少年(アイスホッケー)。父兄会も全国規模でついて回ったと言っても、スケート=氷・リンクと言うことで関東以北に限定されていたが。

・成績は、小・中・高全て北海道に惜敗!

・高校を卒業:と同時にカナダへホッケー留学をしてしまった(半分は親の責任?)。明治大学に推薦入学の指名を受けて入学金まで払い込んだのに何としても行きたいと、我れも留学そのものは反対ではなく中学、高校と英語の家庭教師を付けたり、サマースクールに参加させたりはしていたがとにかく大学へ行きながら道を決めさせたかったのだが本人は、留学できなければ大学へも行かないと言うところまで心を決めてしまった。我れとしては熱意に押し切られた形でで急遽、動き回って当面の引受先を決めて高校の部長先生・明治大学のホッケー部に謝りまくって寛大な処置を頂いた。今はスポーツ枠とかはどうなっているのか解らないが、とにかく次年度の推薦入学者に影を落とすことはなかったようだ。(当時、学校で1〜2名枠なので3番目の候補者にはだいぶん恨まれたことだろう)

バンクーバーに拠点を置いてプレーしながら(古河に在籍したMr.kさんの元に先ずは身をおいた)、他地区少年チームの入団テストに、ケンさんの注意も聞かず何カ所もチャレンジした。中学の時参加したサマーキャンプで受けていただいたポーズン(ネルソン B.C) のところに押しかけたり日光の片田舎から飛び出したお兄ちゃんにしては必死の頑張りだった思うが・・・。ケンさんのところに居たのではカナダでアイスホッケーをやってきたと言う肩書きだけしか残らないことを察知した豪は、結局半年後にはケンさんご夫妻をを強引に説き伏せてネルソンに向かった。

・カナダでの少年チームで活躍:スタートから二年後には二クラスUPのリーグでも得点できる活躍をした。チームのオーナーにも可愛がられ、地元地区の補習生が通う学級にも通わせてもらいリンクの外でも充実した時間を保てていた期間もあった。

・怪我:ネルソンで迎えた二シーズン目の好調な時期、シーズン終了間際に左足骨折の大怪我を負ってしまった。付いてないときは悪いことが重なる!目を掛けてくれていたオーナーが撤退、経営陣とコーチングスタッフがほぼ総入れ変えとなってしまった。とにかく新しいシーズンに向かってどうなるのか不安であったが自分で動く事もできず、相談する人ともない状態でひたすらリハビリに励んだ。そのうち、比較的良く面倒を見てくれたコーチの一人にチーム事情の悪さから移籍する先を探しておいた方が良いというアドバイスをもらった。(*このリーグの形態は、ネルソン地区のプロチームの下部組織に位置付けられていて、各チームは親チームの助成金、自チームの稼ぎだし=入場料その他、地区からの助成金もあり、オーナーも存在する。それらのトータル収入からチームの選手達の生活費がまかなわれているのだった。)お小遣いも出ていたのだ。

・オフに入って怪我の状態も何とか無理すれば氷にも乗れる状態に回復していたが、言い渡されたのは同じネルソン地区の別チームへの移籍だった。ただ、レベルは現チームより更に上な事は豪本人も対戦もあり知っていた。向こうはOFFのトレーニングから氷上を使うのでかなりの不安を抱いたままチームを移った。

・OFFの練習と、シーズンin当初は第3フォワードとしてゲームにも出ていたが、ダブルヘッターの時など踝が腫れ上がってスケート靴が履けなくなる始末でコーチに見られて、下部のリーグで調整を命じられた。(*アンダー18のチームにも二層、三層の下部組織がある)

・一度落ちると、はい上がるのは難しく足の状態も無理がたたって日々焦燥感に襲われていた。この頃はスケート以外でも数少ないが友達はできていた。その後、もう一回チームを移ったがもう自分が納得できる活躍はできなかった。

・結局カナダへ渡って三年半ホッケーをやったがそこでスケート靴を脱いだ。この間怪我をしたことは一切家には連絡せず、通常の更新も豪から家への連絡が基本・本人の希望だが。送金なども、家を出るとき持った額とバンクーバーの時・後は数回送れとと言われた箇所に言われた額を送っただけ、大きな額は送ってないが、ネルソン時代の数少ない電話ではいつも、お金はチームから出ている生活費で間に合っているから勝手に送るなと言ってきた。

・音信不通の1年間:詳細を話せば日本に戻れと言われるので連絡しなかった! 次の連絡はロスからだった!
 (ここからは明日にする)