「keniti3545」since74 小さな窓:2015.02月09日曇り-7℃「東日本大震災」「311フクシマ」1432日 今日の一題「どうする日本・テロとの”たたかい”」
*「東日本大震災」「311フクシマ」1432日
*今日は放射能線量測定日
データ 「グループ1」
先ず前回「02月02日」の測定値を示す
東:0.14 0.12μSv/h 西:0.23 0.20μSv/h 南:0.36 0.32μSv/h 北:0.23 0.20μSv/h
M :0.47 0.32μSv/h
全体のMaxは0.47μSv/h
5点の総平均値=0.20μSv/h
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本日「02月09日」の測定値を示す
東:0.12 0.12μSv/h 西:0.25 0.19μSv/h 南:0.37 0.29μSv/h 北:0.12 0.11μSv/h
M :0.56 0.54μSv/h
全体のMaxは0.56μSv/h
5点の総平均値=0.19μSv/h
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データ 「グループ2-0」 <児童公園の測定 「5点」:各定点の平均値>
各定点 6回測定の平均 単位はμsv/h (02月/09日 月曜日)
東辺:公園内、外周東辺 楓根元 0.15
南辺:公園内、外周西辺 楓根元 0.58(maxは0.76μSv/h)
西辺:公園内、外周西辺 樹木根元 0.26
北辺:公園内、外周北辺 樹木根元 0.13
E :児童公園(グランド中央部) 0.10
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データ 「グループ 2」
先ず前回02月02日の測定値 を示す
東:0.13 0.12μSv/h 西:0.28 0.21μSv/h 南:0.79 0.68μsv/h 北:0.68 0.14μsv/h
中央:0.14 0.14μsv/h
全体のMaxは0.79μSv/h
5点の総平均値=0.23μSv/h
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本日02月09の測定値
東:0.25 0.18μSv/h 西:0.34 0.32μSv/h 南:0.76 0.68μsv/h 北:0.18 0.14μsv/h
中央:0.14 0.11μsv/h
全体のMaxは0.76μSv/h
5点の総平均値=0.24μSv/h
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2014年12月・2015年01月 2ヶ月間 市広報データとmyデータの比較です
縦軸単位は、μSv/h 足尾地区の高値は気になりますね。 何時も言いますが最高値表示とは言えこういう数値が身近にあると言う認識が大切なのだと思います。
(2)「myデータ」ホットスポット4点(此方は平均値)
単位は同じく、μSv/h ホットスポットは身近なところにもあります。もっと私たちは感心を持つべきだと思います。
◎.市広報のデータ開示(ホームページ)では月単位となり、比較は月遅れになります。今日で「311」福島からは「1432日」ですが「除染」という名の「放射性物質」捕獲作業の行われない土地では、セシウム134の半減期(約3年)が過ぎて更に一年、しかし目に見える変化はありません? 311以前の「0.03μSv/h」への回帰はあり得ないのでしょうか? お役所へ聞いても答えは返ってきませんものね〜?!
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*今日の一題「どうする日本・テロとの“たたかい”」
(新聞記事から二つ:keniti3545の覚え)
[1]ーチャイ屋の片隅で:(4)なぜマララさんは嫌われるのか
2015年01月23日 毎日新聞金子淳氏記事:
(記事中の写真掲載は割愛させてもらいました : チャイとはインドの甘いミルクティーのことだそうです keniti3545)
「素晴らしいのは、インドの父がパキスタンの娘に出会えたことだ」。昨年12月、ノルウェー・オスロ市庁舎で開かれたノーベル平和賞の授賞式。児童労働根絶に取り組むインドの受賞者、カイラシュ・サティヤルティさん(61)は上気した様子でこう語った。演説の途中で原稿を見失い、アドリブで言ったセリフだったが、会場から盛大な拍手を受けた。「パキスタンの娘」というのはもちろん、同時受賞したマララ・ユスフザイさん(17)のこと。1947年の分離独立以来、3度の戦火を交えた敵対国の同時受賞となった一連の行事の中で、最も牧歌的な一幕だった。
ノーベル平和賞はしばしば「政治的な賞」と批判される。選考には受賞者の実績ではなく、ノーベル委員会の政治的意思が込められているという指摘だ。確かに、今回の平和賞には明確な意図が込められていたと思う。敵対する印パ両国の関係改善、そしてイスラム過激派に対峙(たいじ)することの重要性だ。
「敵対国からの同時受賞」「受賞者はイスラム教徒とヒンズー教徒」。こうしたキャッチフレーズは、確かに世界に融和への期待を抱かせるのに十分な宣伝力を持っている。とくにマララさんは史上最年少受賞者だ。パキスタン・タリバン運動(TTP)に銃撃されて重傷を負いながらも奇跡的に回復したという物語。イスラム過激派に立ち向かう勇気。胸を打つ感動的なスピーチ。どれを取っても受賞理由として申し分ない。「子供の権利」という主張も広く受け入れられやすく、今回の受賞は「平和に向けた素晴らしいメッセージになった」という感想も数多く耳にした。
しかし、だ。今回の受賞は印パ関係改善につながっただろうか。イスラム過激派に対する支持は減っただろうか。世界は平和に向かうことになったのだろうか。残念ながら、そうは見えない。私はむしろ、今回の平和賞をきっかけに、イスラム教国パキスタンと西欧社会との「断絶」がはっきりと浮かび上がったように思える。パキスタン国内でマララさんに対する反感が強まったように感じるからだ。
「マララは我々の社会的・宗教的価値観を壊した」。マララさんと同世代の大学生、ナジブラさん(18)はこう語る。「女性を男性の目から守るべきだ」という南アジアの伝統的な女性隔離の慣習「パルダー」(ペルシャ語で「幕」の意味)に反しているのだという。マララさんが銃撃されたことについても「事件のおかげで簡単に平和賞が取れた。ケガだって報道されたほどひどくはなかったのだろう」と言う。ある地元記者は「みんなマララさんを話題にしたがらない」と明かす。授賞式前日のマララさんらの記者会見も国内では一部だけ中継され、すぐに途切れたという。
学校関係者の中にも反発がある。全パキスタン私立学校連盟のミルザ・カシム理事長は「(マララさんを銃撃した)タリバン運動を支持するわけではない」としながらも、「マララはイスラム教や軍などの国家機関を不当に批判し、パキスタンの誤ったイメージを広めた。自伝『わたしはマララ』はイスラム教を冒とくする内容がある」と憤りを隠さない。さらに「ノーベル平和賞の受賞者の多くはこれまでも母国で論争の的となってきた。極めて政治的な賞だ」と吐き捨てるように言う。
なぜマララさんは嫌われるのか。ペシャワル大のサルファラーズ・カーン教授は、米国の「対テロ戦争」に翻弄(ほんろう)されたパキスタンの反米感情が背景にあると指摘する。
パキスタンは2001年の米同時多発テロをきっかけに外交方針を転換させた。半ば強引に米国の対テロ戦争に引きずり込まれ、友好国だったアフガニスタンのタリバン政権と戦う米軍を支援した。国内では米国の無人機攻撃が始まり、誤爆による民間人の犠牲者が相次いだ。イスラム過激派はパキスタン政府を敵視し、国内で無差別テロを開始した。治安悪化に伴い国民には反米感情が広まり、今も収まっていない。
一方で、マララさんは西欧的な学校教育の重要性を主張し、「自由」や「権利」を求めて声を上げた。銃撃事件後は英国に拠点を移し、欧米メディアはイスラム過激派を批判するマララさんの演説やインタビューを繰り返し報じてきた。カーン教授は「マララさんの主張が西欧の価値観と重なるため、多くの人がマララさんを『欧米の価値観を広める活動をしている』とみている」と指摘する。
平和賞の選考はノルウェーのノーベル委員会が担う。それだけに、今回の授賞はマララさんに対するパキスタン国内の反感を助長したのではないか。「やっぱり『欧米の手先』だと証明された」というわけだ。
マララさんは聡明で、記者会見やインタビューでの受け答えも当意即妙だ。演説は心をつかむようなフレーズがちりばめられ、イスラム過激派を批判する勇気には頭が下がる。しかし、だからといってマララさんを批判するパキスタンの人たちを「理解できない」と切り捨ててはならない、と私は思う。むしろ、なぜマララさんが嫌われているのかを考え、背景に何があるのかを理解しようとしなくてはいけないのではないか。「どちらが正しいのか」を直ちに判断するのではなく、異なる価値観を理解しようとする姿勢を保つことこそ、いま求められているような気がする。
フランスで1月、週刊紙「シャルリーエブド」が襲撃された事件は、欧米社会で「表現の自由」という価値観への攻撃と受け止められた。一方で、パキスタンなどのイスラム教徒は同紙の風刺画に対する非難の声が上がり、抗議デモも相次いだ。
「大きな断絶がある。それは思いやりの欠如だ」。平和賞を受賞したサティヤルティさんは演説で、子供の権利を巡る状況についてこう述べた。文脈は違うけれども、それは欧米とイスラム社会の間にも当てはまるような気がする。平和賞を機に浮かび上がったパキスタンと欧米の「断絶」。それが互いの価値観を理解しあうきっかけになったとしたら、そのときこそ、本当の意味での「平和賞」になるのではないか。
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[2]ー
◇.NHKものだがこれは普遍と受け取りたい(keniti545)
後藤さん殺害事件で「あさイチ」柳澤キャスターの珠玉の1分間コメント
投稿日: 2015年02月02日 10時43分 JST 更新: 2015年02月02日 10時43分 JST
若者言葉ならば「神コメント」と言うのだろう。
偶然、テレビからそんな言葉が聞こえてきた。
NHKの「あさイチ」で、メインキャスターの有働由美子、井ノ原快彦の2人の横でどぼけたオヤジギャクを時折飛ばす柳澤秀夫解説委員。
ふだんは温厚で駄洒落好きのちょっとズレた中年男性という役割で発言するが、今朝は冒頭から違った。
有働、井ノ原の「朝ドラ受け」をさえぎって、以下のようにコメントしたのだ。
「あさイチ」を見ていなかった人のために、あえてその全文を書き写してみた。
「冒頭なんですけど、すみません。昨日から今日にかけて大きいニュースになってきた後藤健二さんなんですけど、
ちょっと、あえて、冒頭で、一言だけ・・・。
僕も後藤さんとはおつきあいがあったものですから、一番、いま、強く思っていることは、ニュースではテロ対策とか過激派対策とか、あるいは日本人をどうやって守ればいいか、が声高に議論され始めているんだけど、ここで一番、僕らが考えなきゃいけないことというのは、後藤健二さんが一体、何を伝えようとしていたのか、ということ。
戦争になったり、紛争が起きると弱い立場の人がそれに巻き込まれて、つらい思いをするということを、彼は一生懸命に伝えようとしていたんじゃないか。
それを考えることが、ある意味で言うと、こういった事件を今後、繰り返さないための糸口が見えるかもしれない・・・。
われわれ一人ひとりにできることというのはものすごい限界があるんですけど、この機会にそういうことを真剣に考えてみてもいいのでは・・・。
それが後藤さんが一番、望んでいることじゃないか。そう思ったものですから、冒頭なんですけど、ちょっとお話をさせてもらいました。」
時間にすれば、わずか1分あまり。
実は、柳澤秀夫氏は1990年から91年にかけての湾岸戦争当時、数少ない西側諸国の特派員としてイラクに残って、レポートを繰り返した伝説的なテレビ記者だ。
アメリカを中心とした多国籍軍が空爆した後の様子をイラク当局が検閲するためにあえて英語で伝えた記者レポートは各局のテレビ記者たちの間で語りぐさになったほどだ。
私自身も柳澤氏にはるかに及ばないが、湾岸戦争やイラク戦争などの悲惨さを取材したことがあるので、今回の後藤さんの事件を受けた彼の思いは痛いほど伝わってきた。
後藤健二さん殺害を伝えるビデオメッセージで「イスラム国」側が、今後も日本人を標的にすると宣言したことで、急に各社のニュースが「日本人の安全」や「テロとの闘い」をめぐってザラついたものになっている。
柳澤氏が指摘するように、「後藤健二さんが本当に望んだことなのか」が疑わしい雰囲気が一気に訪れている。
どうか、柳澤氏の上記のコメントを、かみしめて読んでほしい。
NHK、民放を問わず、スタジオのコメンテーターは吐いて捨てるほど存在する。
私自身もだいぶ以前、テレビのコメンテーターを務めた経験があるが、大きな事態に、大事だと思うことを、適切な言葉を選んで視聴者の心に届くように話すということは簡単にみえて、実際にはとても難しい作業だ。番組の限界や局の限界もある。
だが、コメンテーターにとって本当に大事なことは、こうした節目の事態にこそ、きちんとした「見識」を示すことだろう。
後藤さん殺害の後で、今、テレビに求められているのは、この事件をどう受けとめるべきなのかという「解釈」をきちんと示すことだと思う。
柳澤氏は、ジャーナリストとしての長い経験に裏付けられた見識を示した。
柳澤氏と同じようにジャーナリストとして紛争地の周辺を取材した人間として、柳澤氏や後藤さんの胸中を想像して、思わず涙が出るほど、心に響くものだった。
番組の冒頭からあえて発言した柳澤氏の勇気をたたえたい。
「われわれ一人ひとりにできることというのはものすごい限界があるんですけど、この機会にそういうことを真剣に考えてみてもいいのでは・・・。」
柳澤氏のこの言葉の意味は重い。NHK、民放ふくめてテレビに出演している人たちだけなく、あらゆる人たちが今問われていることだと思う。
(2015年2月2日「Yahoo!ニュース 個人」より転載)
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