「keniti3545」since74 小さな窓:2015.01月29日晴れ-8℃「東日本大震災」「311福島」1421日 今日の一題「どうする・ー」

*「東日本大震災」「311フクシマ」1421日


*今日の一題「どうする・ー」  (今日は記事のご紹介二つです)


本日の記事ご紹介 「1」

週刊朝日記事 (2015年2月6日号)

田原総一朗イスラム国人質事件 命の重さはダッカ事件の時代と変わったのか」


ジャーナリストの田原総一朗氏は、イスラム国が日本人2人を人質にした事件についてこう語る。(1月29日)

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 湯川遥菜氏と後藤健二氏という2人の日本人が“イスラム国”に人質として拘束された。イスラム国は72時間以内に日本政府が2億ドルを支払わなければ2人を殺害すると脅迫するビデオをインターネットで公開。

“日本の首相へ 日本はイスラム国から8500キロ以上も離れていながら、進んで十字軍に参加した。われわれの女性や子供を殺害し、イスラム教徒の家を破壊するのに、得意げに1億ドルを提供した。また、イスラム国の拡大を阻止しようとするために別途1億ドルを拠出した”

 こう非難し、2人の生命を救いたければ、イスラム国に同額の2億ドル(約235億円)を支払えと要求したのである。イスラム国は、アルカイダ系などのスンニ派過激派勢力が2006年に合流した旧イラクイスラム国を前身としている。

 米軍の掃討作戦で一時は弱体化したのだが、シリア内戦の間に組織として勢いを取り戻したのであった。

 最高指導者とされているアブ・バクル・アル=バグダディは14年6月にムハンマドの後継者としてカリフを名乗り、イスラム国家の樹立を一方的に宣言した。シリア北部のラッカを“首都”として、統治は極端なイスラム法の解釈に基づき、酒もたばこも禁止で、違反すると刑務所に入れられるということだ。

 イスラム国はイスラム大義という抽象的な理念を掲げてはいるが、シリアやイラクの政府を転覆させようとしている過激勢力で、言うなればテロ集団である。そしてアメリカの呼びかけでサウジアラビアやヨルダンなどイスラム圏の国々まで参加している“対テロ戦争”に対抗するために、組織を分散化し、組織間のつながりを極力減らす、“ローン・ウルフ”型の個別テロを世界各国で行おうとしている恐るべき存在である。安倍首相はエジプトやヨルダン、イスラエルパレスチナ自治政府など中東の国々を歴訪し、イスラム国対策として2億ドルの支援を表明したが、これは難民への食料や医療支援、学校、職業訓練所などを建設するための援助であり、イスラム国の非難は全くの筋違いである。

 安倍首相は記者会見で「許し難いテロ行為に強い憤りを覚える」と述べ、支援は“十字軍”とは全く違って、中東地域の避難民が命をつなぐための非軍事の支援を続けていく、と強調したのである。では、具体的にイスラム国の「2億ドル出せ」という要求に政府はどのように対応すべきか。

 各紙の社説はいずれも慎重である。2人の救出にできる限りの手段を尽くすべきだ、と強調しているが、イスラム国が話し合いに応じる可能性は極めて低いであろう。

 1977年9月に、日本赤軍による日航機ハイジャック事件、いわゆるダッカ事件が起きたとき、当時の福田赳夫首相は「人命は地球より重い」として600万ドル(約16億円)の身代金を支払い、服役中の赤軍派の人間を釈放した。そして諸外国から“弱腰”だと批判された。

 現在でも国内には「2億ドルを支払って2人の日本人の命を救うべきだ」とする意見が少なからずあるはずである。だが、福田首相の時代とは状況が大きく変わった。2億ドルを支払うことは、アメリカ、ヨーロッパ、そして中東の、イスラム国と戦っている国々に対する裏切り行為になるのではないか。危険なシリアに入った2人は、自分たちの行動に責任を持ってはいるのであろうが……。

週刊朝日  2015年2月6日号


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本日の記事ご紹介 「2」

(kobajyun チップス)
投稿日: 2015年1月29日 作成者: admin

「何が起きても、責任はすべて私にある。シリアの人々を責めてはいけない」後藤氏
「優しさを燃え上がらせる事によって自分が火傷してしまう、そんな類いの人間なのです」後藤氏の母

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 1月25日

人質事件被害者父親
イスラム国人質事件 – シリアの地で運命がつながった、人間としては全く異質な2人】《前篇》
「何が起きても、責任はすべて私にある。シリアの人々を責めてはいけない」後藤氏
「優しさを燃え上がらせる事によって自分が火傷してしまう、そんな類いの人間なのです」後藤氏の母

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 1月25日

イスラム国の戦闘員の前に跪くことを強いられている2人の人質男性は、テレビから流れる映像を見つめる人々の目には密接にかかわり合う人間同士に映りました。
2人は命と引き換えに賠償金を要求する覆面をした戦闘員の両隣にオレンジ色の長着を着せられて跪き、厳しい表情でビデオの画面に映っていました。

そして週末にかけ、2人の男性の運命はより一層密接に結ばれることになったのです。
男性のうちのひとりが首が切断された別の男性の遺体を写した写真を両手に捧げ持つ画像が公開され、イスラム国のアル・バヤン・ラジオ局は男性1人を殺害したと伝えたのです。
イスラム国と連携するラジオ局1社も、25日日曜日午後遅くに男性が殺害されたことを確認しました。

ともに拘禁されるという事態に至ったシリアにおける道のりは、2人の男性それぞれにおいて結果的にはそれ程異なってはいませんでした。


生き残った方の人質、47歳の後藤健二氏は20年以上紛争地域にこだわりを持ち、その取材を続けているフリーランスのテレビカメラマンであり、すでに5冊の著作を持つ、尊敬を集めているジャーナリストです。
彼は弱い立場の人々、特に難民にされてしまった子供たちが置かれている窮状に心を痛め、その姿を世界に伝えるという使命感に燃え、何にも増してイラクとシリアに引きつけられ、その存在を知られるようになりました。

一方の42歳の湯川遥菜氏は破産、そして妻の死という人生において衝撃的な出来事が重なった挙句、2008年には自殺を試みた、心のよりどころを失ってしまった人物でした。
湯川氏は自らが第二次世界大戦時の有名な女性スパイの生まれ変わりであると確信し、人生の再出発のきっかけを求めてシリアに入っていったのです。

ブログの中で湯川氏は、タリバンアルカイダに対し充分な実戦経験を積んだ後で、危険な紛争地区で活動する日本企業の安全保障アドバイザーの地位に就くことを夢見ていました。
代わりに今回彼は、取り返しのつかない深みにはまりこんでしまいました。

湯川氏がイスラム国に拘束されたのは昨年8月と見られますが、その直前別のシリア反乱軍が短期間彼を拘留していました。
そしてこの2人の日本人男性は身代金を要求するビデオに並んで映し出される直前、ありうべからざる再会を果たすことになったのです。

実際のところ、ブログから想像される2人の男性の人間像、そして双方の友人や家族の話を総合すると、見えてくるのは次のような情景です。
経験豊かなジャーナリストが、運に見放された上におそらくは見当違いの方向に進もうとしていた湯川氏を見て、責任を感じ、何とか面倒を見ようとしていたと思われます。
湯川氏がシリアとイラクの領土を広範囲に制圧しているイスラム国に拘束されたことを知った後藤氏は、何とか彼を連れ戻そうと、極めて危険な場所に踏み込んで行ったのです。

そして後藤氏の救出作戦を不運が見舞い、昨年10月、彼もまたイスラム国に拘束されたのです。

23日金曜日、後藤氏の母親の石堂順子さん(78歳)は、湯川さんとの関連について次のように語りました。
「彼は可能な限りの手立てを尽くして、先に拘束された知人を救いだすため、現地に飛んで行ってしまいました。」
石堂さんは後藤氏が今回のような危険を冒した理由について、常に弱い者に優しく接しようと努めていたからに他ならないことを次のように説明しました。

「私の息子は立って歩けるようになる以前から、自分よりも年下の弱い立場の子供たちに、常に優しく接しようとしていました。」
「彼は優しい子供でした。でもその優しさを燃え上がらせる事によって自分が火傷してしまう、そんな類いの人間なのです。」

シリア国内の武装勢力支配下にある地域に入り込むことついて、後藤氏は自身の最後の動画においてその危険性を十分認識していたことがうかがわれます。

カメラをまっすぐ見つめながら、後藤氏はこの先何が起きても、シリアの人びとを批判して欲しくは無いと語りました。
「今回の旅はきわめて危険です。」
後藤さんはまず母国語である日本語で、次に英語でこのように続けました。
「もし何かが起れば、責任はすべて私にあります。」

〈 後篇に続く 〉

http://www.nytimes.com/2015/01/26/world/asia/two-japanese-hostages-as-different-as-can-be-linked-by-fate-in-syria.html?_r=0
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後藤さんは救出に行った、その湯川さんをいわば眼前で殺害され、さぞ無念の想いを募らせておられると思います。
しかし解放され、再びジャーナリストとして活躍されるようになれば、今回の経験も踏まえ何層倍ものスケールで仕事をされるようになるのではないでしょうか?
そのことを願い、そして何より無事で帰還されるよう願い、微力ではあっても何か自分も出来ることがあれば、そのことを願っています。

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