「keniti3545」since73:2014.1月4日晴れ−1℃「東日本大震災」「311フクシマ」1031日今日の一題「気付きと気付かない振り」
*朝トレ:7時30分玄関温度はー1℃ 9時に家出た昨日の下見でもまだ堰堤上のコースは無理なので今日は真っ直ぐドームリンクへ。 今日も子供達の歓声とパックの響きが耳に心地良い! 往路300メートル一往復600メートル×7=「4,200メートル 歩数にすると5250歩」、家からリンク往復が2,000メートル +するとトータル「歩数にして7,750歩」「距離にして6.2キロメートル」ま、ま〜かな〜。今年もこの辺で行こうかな〜!
PCのメモリー不足は何ともしがたいが、古い(全部古いけどね 笑)外と付けハードデスクに無理矢理押し込みUSBメモリーの安売りで買って於いたものへ小分けしてチョットしたスペースを作ったら結構言うこと聞いてくれるように成りました、myPC。 今はPCのお引っ越しも楽ですよね。それでも、われも今月末を想定してますがブログのベテランの皆さんも何らかのトラブルには巻き込まれたようですのでまだチョットは心配です。 一応今までのスタイルに戻して様子見ていきま〜す。
*「東日本大震災」「311フクシマ」1031日
*今日の一題「気付き と 気付かない振り」
「1」行政の恣意的なスタンス感じるのはわれだけなのだろうか?
毎日新聞 2014年01月03日
東京電力福島第1原発事故後初めて、年末年始の特例宿泊が認められた避難指示解除準備区域の福島県楢葉町で、年明けから町内の神社で初詣を行う町民の姿が見られた。事故前は毎年3000人が初詣に訪れていた木戸八幡神社には、1日から3日まで宇佐神(うさみ)正道宮司(58)が避難先のいわき市から帰り、参拝者を受け入れた。
特例宿泊は昨年12月28日から5日まで。かつてお札のおたき上げで暖かかった境内は、放射性物質の拡散防止のため火が使えず寒い。それでも町民は手を合わせた後、新年のあいさつと避難先などでの積もる話に花を咲かせた。
事故後初めて自宅に泊まった吉田善子さん(58)は「寝坊するほど、ぐっすり眠れた。この神社に来るのがやっぱり、私たちの正月」と話した。【写真・文 梅村直承】
・・・・・・・
◎.考えてしまいます。此処の線量はどのくらいなのだろう?と!
一時帰宅と参拝者受け容れ : 誰がどのように決めているのだろう? 帰りたいか(一時帰宅)、と聞けば100%帰りたいと応えるだろう。 お参りしたいかと問えば、100%お参りしたいと応えるだろう。 完全帰宅ではないから「帰りたい」「参拝したい」のではないのか? 数日で今の安全な住み家へ戻れると言う安心があるからの話なのではないのか。 勿論それだけでも嬉しいのです・その安心感があるから嬉しさを味わえるのではないでしょうか?!
端から見ても至極当然のことです。自分の以前の家には残念ながら放射能被爆に関する安心感は持てないのですから。風評とかではなく「数値がそれを証明している」のですから。 何の為の一時帰宅と参拝の勧めなのですか?
果たして住民側からの希望なのか?人情と危険: 数多く通わせれれば危険意識は薄れ人情が勝つことは目に見えていることであろう。しかし、放射能被爆の危険性、障害の症状などは直ぐには目に見えにくい。場合によっては命を継いだ次世代への障害となることも大きく懸念されるところでもある。
そこに関係者による、「恣意的施策」が仕組まれているとすれば大きな倫理的・人道的問題であることは必至だ。
この文章を書き出した原点に戻るが、この一時帰宅・参拝の受け入れは誰がどのように決めたのか?誰が返答してくれる問題なんだろう?
人情的にはとても有り難い、「嬉しい行事の一つとして住民は充分に楽しい思いはする」でしょう。それは悪いことではありませんが、必要な手順と十分な説明、特に当事者にも・端から見ても、疑問の起きない説明が成されているのかはチェックの必要があるのではないでしょうか? (keniti3545)
=================
「2」気付いていても解らない:解っていても気付かない
東京新聞 2014.1.3筆洗い
帰省した時、お父さんやお母さんに変わったことはありませんでしたか。正月になじまないテーマかもしれないが、正月だから書いておきたい。認知症の話である
▼両親と長く離れて暮らし、実家に帰るのはお盆とお正月だけという人は少なくないだろう。気にしてほしいのは、久しぶりに会った、お父さん、お母さんがずっと何かを探していなかったか、同じ話をたびたび繰り返していなかったか、である
▼後悔している。ある年末、帰省すると独り暮らしの母親が「自治会の役員を頼まれて困っている」と、何度も同じことを言う。そんな事実もない。おかしいなとは思ったが、年のせいだとほっておいた。次の年末はジャン・ギャバンの古いフランス映画「望郷」の話。自分で料理したのに「塩っ辛い」と妻のせいにもした
▼もういけないと思ったのは次の年末で、離れて暮らす兄が帰ってきたと言った。「そこに、いたじゃない」。病院で認知症と診断された。対応が遅れた
▼認知症は病気である。早期の治療で進行を遅らせることができる。親の老いを認めるのは難しい。信じたくないが、おかしいと感じたら病院へ連れていくべきだろう
▼心配だけしていても始まらぬ。何をすべきか。「事件の渦中に入れば、もう恐怖はない」。サンテグジュペリの言葉だ。つらい話だが、後回しにしないで、渦中へ入るしかない。
・・・・・・・・
◎.早めの治療と生活様式の改善が出来れば、家族も本人も人としての威厳を保ちながら楽しみを味わえる生活の中で老いていける。この問題に取り組む社会的な体制は、(地域差、費用(支払い能力)の格差、等はあるでしょうが)この十年間で格段の進展・進歩があったと思われます。
この記事のような進言をするときには、ともすれば、誤解されやすい。直近の家族が我が身の労を厭い、逃げようとしているのではないかと、しかしそれは大きな見当違いだと思わざるを得ない。当のご本人を環境の適合しない居場所に於くと言うことこそ逃げの姿勢であると、われは思う。ただ、一対一で生活を共に出来る人が居れば話は違ってきますね。
先日NHKのある番組で息子(70才代)が認知症と診断された母親を介護するドキュメント番組を見ましたが、その日数3000日にも及び看取る瞬間までの映像もありました。これも一つの例だとは思いますが、先に挙げた社会制度の中で認知症の人もときには、「とっても嬉しそうな顔も」見せます、一方手厚い「家族介護される認知症の方も何時も穏やかな顔と心で居られるとは」限らない。
そこには、記事にも言っている「認知症は病気」であることにも間違いはないのです。 一番肝心なことは家族がなるべく早く気付くことである。と言うことは異論のないところです。
われもこの文章の初めに書いたように、問題に取り組む社会的な姿勢と仕組みはこの十年では格段の進歩が見られますが、まだ、家族の気付きがご本人の為になるアクションに結びつくのには相当な格差がある現実を目にするところです。周りを見て、聞いて、自分が親を看た人は自己申告をする制度でも作るべきではないかとさえ思うこの頃です。 周りが遠慮、気付きたくない場合もあるのではないでしょうか? (keniti3545)
====================