「keniti3545」since73:4月17日晴れ6℃「東日本大震災」「311フクシマ」769日 今日の一題「蘇れ日本のジャーナリズム!」

*朝トレ:9時〜10時20分 今朝は珍しく倉井さんの大奥様が愛犬の散歩に土手を上がってきたわれより幾つか年下と聞いてはいたが背中も「しゃん」としてる。少し負けそうなくらい姿勢が良い思わずわれも背筋をしゃんと伸ばして見た。「お早う御座います」、「お早う御座います」愛犬の名前はつい先頃倉井さん家の「リュウ・シン君」達に聞いたばかりだけど・・・、

 結構「良い名前」だと「われ」は思うが・・・。「や・し・ち」だそうだ、初めて「シン君、リュウ君」に教えてもらった時には二、三度聞き返したが「双子のお兄ちゃんリュウ君」が水戸黄門」知らないの?と、聞き返してきた


 成るほど風車の弥七かあ〜、 「知ってんじゃない」! お爺ちゃんが付けたの「弥七」と言う名前、  「違う」よ、「お母さんが付けたんだ」よ! そうかい。 そうか、二人のお母さんは倉井さんの娘さん、だから二人は倉井姓ではないがお父さんもこの家に住んでいる。娘さんが跡取りなのだ。小さい頃倉井さんの膝の上で一緒にテレビでも見ていたのかなリュウ君達のお母さん残念ながら大型犬の「弥七」は男嫌いだそうで側へは寄れなかった。
今日も「B下」評価のメニューは完となり、男体山のまだまだ「厚い残雪」を眺めながらの帰路でした。 



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*.今日からこの日記も 「since73」に入りました。が、 「そそっかしいわれ」のこときっと時々間違えると思いますのでその時は教えて下さい。 これからも宜しくお願いいたしま〜す!

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*「東日本大震災」「311フクシマ」769日



*今日の一題 「蘇れ日本のジャーナリズム」!

蘇れるかジャーナリズム!



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 生き生き箕面通信1577(1304017)をお届けします。

 正義を示した「水俣病最高裁判決――今後の東電原発事故訴訟につながる判決

 最高裁が昨日4月16日、 水俣病の認定拡大」という長年の課題に終止符を打つ画期的な判決を言い渡しました水俣病の公式確認からまもなく57年。あまりにも長い「正義」への道でした。その間、為政者側の関係者が責任を逃げまくり、患者を切り捨てまくってきました。

 それだけに、最高裁が「県の判断を裁判所が全面的にチェックできる」と、司法が独自に判断ができることを明確にした点でも画期的といえます

 今回の判決は、東電・原発事故に起因する放射能障害訴訟に大きな影響を与えると想定されます

 無視されてきた水俣病に光を当て、世論を喚起する大きな役割を果たしたのが作家・石牟礼(いしむれ)道子さんの小説、「苦海(くがい)浄土」。その石牟礼さんが判決後に取材に応じ、紹介した句が「毒の列島 身もだえしつつ 野辺の花」。この句は原発事故後に詠んだ句で、「日本列島は毒の島になってしまった。でも、野辺には小さな花が咲いている。(最高裁判決で)認められたことは、かすかな、かすかな希望です」と語ったそうです。今朝の朝日新聞社会面(37頁)で伝えています。

 今回の判決は、経済よりも正義を優先させたところにサプライズの意義がありました。半世紀以上も国が患者を切り捨ててきたのも、認めると支払う賠償金が巨額になることを恐れたためです。患者の命よりも、賠償という経済を上にしてきたからでした

 樺島郁夫・熊本県知事も判決後、「申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と、患者へ謝罪しました。しかし、それでもなお、「今後の対応は、国(環境省)と相談する」というばかり。積極的に患者救済に乗り出そうという姿勢はありません。樺島知事は、東大教授で、ハーバード大に留学した時は「政治学」の博士号を取得しました。東大・ハーバード大で学んだのは、何のための政治学だったのでしょうか。人気キャラクター「くまモン」と一緒に吉本喜劇に出たりしていますが、そんな大衆迎合政治学だったのでしょうか。

 今後、認定を求める人が急増することが予想されます。一時的な混乱もあるでしょう。本日の社説は、読売新聞ですら、「これまでの救済策は、被害者の線引きを進め、不公平感を招いた。被害者を幅広く、迅速に救済することが、いかに大切だったか。水俣病問題の教訓である」と、明快に主張しました。
 朝日の社説はより踏み込んで、 「混乱があっても、行政がためらっている場合ではない」と、断言しました社会面には、「水俣病と認めさせた だが母はもういない」と、顔をおおって涙する患者の写真も掲載しました。本日の朝日の社会面は、紙面全体から「政治に対するやるせない庶民の怒り」が、ふつふつと立ち上って来るような品格が感じられました新聞は、そしてジャーナリズムはかくあるべしと高く評価できる出来栄えでした


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◎.箕面通信さん、褒めた褒めた「ホメ過ぎる」ぐらい! でも、当たり前のこと当たり前に褒めた箕面さんも良かったよ。 読売さんもジャーナリズムの本質遵守に立ち上がるか!期待して良いのですか!日本のジャーナリズムに!!(keniti3545)われも素直に大きな拍手を送ります!! (keniti3545) 朝日新聞さんの記事本文は、↓ 下記に「全掲」です。



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水俣病最高裁判決」に

各紙そろい踏みの頼もしい論評です


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朝日新聞(2013.04.17)

「全文です」

患者の認定 水俣病の原点に戻ろう
 救済の原点に、立ち返れ。そう叱っているように読める。


 水俣病とは、魚介類にたまったメチル水銀を口にして起きる神経の病気で、客観的な事実で認定できる。水俣病の患者と認定するよう求めた訴訟で、最高裁が広く定義づけた

 考えてみれば、当たり前の判断である。だが、行政の強い裁量権を求めてきた政府にとっては完敗の内容となった

 手足の先を針でつついても痛くない。血がしたたり落ちるけがでも気づかない。熱いグラタン鍋でも平気でつかめる。

 そもそも、こうした深刻な感覚障害が水俣病の基本的な特徴だということに、医学上の合意があったはずだ

 ところが、政府は1977年に出された認定基準をもとに、感覚障害と運動失調、視野が狭くなるなど複数の症状の組みあわせにこだわった。その結果、感覚障害のみが出る患者を水俣病と認めなかった

 切り捨てられた軽度や中度の患者は、あいついで司法に訴えた。政府は急ごしらえで対策を立てた。95年、09年と2度にわたる政治決着もそれにあたる

 彼らを水俣病患者ではなく、「被害者」と名づけ、低額の一時金を払ってしのいできた

 こうした一種の分断政策が、患者同士や地域内での差別、対立を生み、さらに問題をこじらせた。長い歴史の中で、行政から水俣病患者だと認められない人々を「ニセ患者」だとみなす風潮さえ生まれた

 水俣病公式確認からまもなく57年になる。だが今も、潜在患者が続々と見つかる

 自らの症状を隠し、あるいはそれがメチル水銀によるものであることを知らない人も多いからだ

 政府は最高裁の考えを行政に生かす責務がある

 水俣病とは何かを今度こそ見すえ、感覚障害がある人たちを「患者」と認定することから始めるべきだ

 初期にみられた劇症型から、比較的軽度の感覚障害に限られる患者まで、症状の軽重はあっても、水俣に面する不知火海新潟県阿賀野川の魚を食べたすべてのメチル水銀中毒患者を、同じく水俣病患者だと認める原則に戻る必要がある

 最高裁の判決を知り、これから認定を求める人も急増しそうだ。重症患者だけを考えた現行の認定と補償金を支払う仕組みや医療制度を、より広い範囲の患者にあわせて組み立て直す必要も出てくる

 混乱があっても、行政がためらっている場合ではない。



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読売新聞社(2013.04.17)

水俣病認定判決 争いの終結はなお見えない

 国の基準では水俣病と認められなかった被害者について、最高裁は「水俣病患者」と認める判断を示した

 行政と司法で認定の尺度が異なる二重基準の状態が続くことになるだろう。被害者の高齢化が進む中、水俣病を巡る争いに収束の糸口が見えない深刻な事態である

 認定業務を行っている熊本県から水俣病と認められなかった女性2人の遺族が、それぞれ患者認定を求めていた。

 うち1人について、最高裁は、水俣病だと認定した福岡高裁の判断を支持した。もう1人の原告については、水俣病と認めなかった大阪高裁判決を破棄し、審理を高裁に差し戻した。

 注目すべきは最高裁水俣病の認定に関し、「多角的、総合的な見地からの検討が求められる」と指摘した点だ。厳格過ぎると言われる国の認定基準を念頭に置いてのことだろう

↓全文
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130416-OYT1T01534.htm



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毎日新聞社(2013.04.17)

水俣最高裁判決 国は認定基準を見直せ

 水俣病未認定患者の司法救済に広く道を開くことになった

 熊本県から水俣病と認められなかった女性2人の遺族が認定を求めた訴訟で、最高裁水俣病と認める判断を示したのだ。1人については、水俣病と認定した福岡高裁判決を支持し県の上告を棄却、もう1人については認定しなかった大阪高裁判決を破棄し、審理を差し戻した。

 判決は、水俣病の認定をめぐる行政の手法を事実上、否定した

↓全文
http://mainichi.jp/opinion/news/20130417k0000m070131000c.html



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東京新聞社(2013.04.17)

水俣病訴訟 根本解決にはまだ遠い

 水俣病の認定は、裁判所が個人個人を独自に判断できると、最高裁が示した。司法解決の道はできたが、本当に大勢の未認定患者が救済されるかは未知数だ。今なお根本解決に遠い現状を憂う

 二つの高裁で、水俣病訴訟の論じ方が異なっていた。福岡高裁は行政判断とは別に裁判所が患者認定できるとし、原告勝訴にした。大阪高裁は、行政判断が不合理かどうかを審査した。一九七七年の国の認定基準を認めたうえで、「行政の手続きに誤りはない」として、原告は敗れた。

 最高裁福岡高裁の考え方を支持し、未認定患者を水俣病と初判断したことは朗報だ。ただし、福岡高裁は「国の基準は不十分」「軽症者を除外し、適切でない」と未認定患者側に立った判断だったのに、最高裁は国の基準を排しなかった。基準見直しにはつながらなかった点は極めて残念だ

↓全文
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013041702000123.html



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◎.「311フクシマ」の「事故収束」も見通せない現実を目の前にして、日本のメディアが「水俣病裁判・判決」を機に真実を追究する「ジャーナリズムの精神」が蘇るなら、今の日本の閉塞状態(政治・行政・経済)に風穴を開ける原動力になりうるのではないだろうか。(そう思えるぐらい嬉しいことだった)  (keniti3545)


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