「keniti3545」since72:4月04日晴れ6℃「東日本大震災」「311フクシマ」756日 今日の一題「政府はこの事象をどう受けとめるのか?」

*朝トレ:8時〜9時15分 晴れた気持ちいい朝〜! 久し振りに、「評価」に値するメニューだった。 「B下」評価でメニュー完。 男体山の頂きに涌き立つ雲が東に流れる真っ白い雲バックは真っ青な空!良い気持ちですこの後お袋と爽やかな「デート」が出来そうだ! かわせみで運営会議も。  忙しかったけど良い一日に成りました。


*「東日本大震災」「311フクシマ」756日


*今日の一題 「政府はこの『事象』どう受けとめますか」! 「総理の答えが聞きたいです」!


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エントリー記事紹介の前に政治屋とマスメディア」に昨日言い足りなかった事を一言追記しておきます。


政治屋と同類項・日本の腐った報道体制:新聞もテレビもこれで「民主主義(国家)を支えているメディアと言えるんですか?!


『新聞の自主規制? 肝心なことは文字にしない 扱わない避けて通る 政府へのお追従』。

『テレビの言論統制? 新聞と同じ事、更には出演させない人のリストまである』。
 特に「NHK TVニュース番組」の規制は目に余る物がある「政府の圧力もハンパじゃない」予算委員会に局長を出席させておいて名指しで人物名を上げこれを出演させるのは公共放送として如何なものかと思うと言う主旨の意見まで陳述している。なんですか、この「やらせ」「やらされたおっさん」は西岡某議員? (以上・昨日の追記 keniti3545)

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ここからが本題・総理はこんな光景を見たらどう呟くのでしょうか?


我れも最後に呟きましょう!



復興日本(2013年3月29日)


福島で子供を育てる母親たちの決意(2013年3月29日)


食品検査、除染、保養――自らの手で福島で生きる道を探る


 「マイタケは1人1つまでねー」 「今日は冬瓜がたくさんあるよ!」
 女性たちのはつらつとした声が響く 「青空市場」キャベツ、大根、みかん、マイタケ、じゃがいも、冬瓜。60畳ほどの部屋に色とりどりの野菜が並び、次々と“売り切れて”いく

 子供をおんぶした母親が、持参したショッピングバッグにマイタケを入れながら言う。「きのこ類は特に(放射性物質が)多いので、貴重なんですよ」。6歳の子供を持つ母親は「県内産は不安で食べられないし、県外産は高い。ここでこうしていただけるのは本当に助かります」と言い、「青空市場」を後にした。


  









段ボールに入った“県外産”野菜がずらりと並ぶ  放射性物質が検出されやすいきのこは人気が高い
        
 福島県二本松市で月に4回ほど行われる「青空市場」自らも5人の子供を持つ同市在住の佐々木るりさんが、福島の子供たちに安全な野菜を食べてもらいたいという一心で始めたものだ

 るりさんの夫である道範さんはお寺の副住職。震災後、全国の浄土真宗のお寺から支援の野菜が届き、それをお寺の一角を使って少しずつ近隣の方に配り始めたのがきっかけだった。徐々に支援の輪が広がり、今では月に100件を超える野菜が「青空市場」に集まるお米など一部のものを除いてすべて無料で提供される「青空市場」には、県内産の野菜に不安を抱える母親を含め、1日200家族が訪れる。中には、県外産の野菜を求めて郡山から往復1時間の道を車でやってくる母親もいるほどだ。運営を担うのは、るりさんを始め、同じ境遇にいる母親たち。るりさんは、そんな“戦友”たちのことを「ハハレンジャー」と呼ぶ。

自分で食べるものは自分で検査する

 道範さんは、震災から2年経った今も食品の放射能測定を続ける。2012年1月にNPO法人「TEAM二本松」を立ち上げ、自ら食品の放射性物質を測る活動を始めた。500万円ほどする食品測定器を全国からの寄付で購入し、子供たちの口に入る物は徹底的に測定。自宅で購入した野菜、牛乳、精肉。過去には、国内大手メーカーの商品から放射性物質が検出されたこともあった県内の農家からは、やめてほしいと言われることもある。子供を守ろうとする行為が、地元の農家を廃業に追い込むかもしれない。それでも、「子供を守るためには避けて通れない」と信じて測り続ける。

 「“ほしい”野菜ではなく“安全な”野菜を選び、カレーひとつとってもニンジンがなかったり、じゃがいもがなかったりするのは当たり前」 (るりさん)。



(左写真)「自分で測定した数値なら信じられる」と自ら食品測定器を購入して放射性物質量を測定する


(右写真)「自分たちが食べるもの以外にも、依頼されれば検査を行う」。その結果はすべてファイリングして、情報を蓄積している




 子供達の内部被曝測定を行うためのホールボディカウンターも購入した。県が行う内部被曝測定は、2年経った今も1度しか受けられていない。いつでも何度でも体内にどれくらいの放射性物質があるかを測定できるようにするには、自分たちで用意するしかないと思った。購入資金の5000万円は、全国からの支援で集めた




子供の内部被曝を検査するために導入したホールボディカウンター
 「5000万なんていう大金、想像もできなかった。でも、ある講演で、学生が1万円札を持ってきて言ったんです。『これを5000枚集めればいいんですよね?』と。勇気をもらいました」(道範さん)

 “5000万という大金”を何とか集め、少しずつ子供たちの内部被曝検査を行っている。異常が発見された場合は、信頼のおける医師を紹介する

 「ここで暮らしていくのに必要なのは、安全な食べ物、除染、保養、の3つ」(道範さん)。震災以降、ひたすらこの3つをやり続けながら、暮らしてきた。

 佐々木さん一家が住む二本松市は、福島第一原発の北西約50キロの距離にある場所。避難指示区域を除く福島県の地域の中では比較的空間線量が高い場所だ。あの日から2年。「徐々にですが、福島で暮らしていく方法が分かってきました」(るりさん)。


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恐れていた子供の被曝

 ここまで徹底した暮らしをするのには理由がある


 「息子を被曝させてしまったんです」

 2011年11月に測定した12歳(当時)の息子の尿から7.5ベクレル/kgのセシウムが検出された子供の食事には細心の注意を払ってきたはずだった

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2011年11月に測定した長男の尿から放射性物質が検出された

 ハンマーでガーンと頭を殴られた気持ちでした。ああ、私、子供を殺しちゃった、と。大間違いをしてしまったと、自分を責め続けました」(るりさん)

 るりさんは、震災から2カ月経った2011年5月に、一時避難していた新潟から当時1歳の次男と4歳の三女を連れて福島に戻った。最初は、水道から水を出すたび、窓を開けるたび、心臓がばくばくとなった。それでも、生きていくと決めた以上は、腹をくくらないといけないと気持ちを落ち着けた。「戻ってきてよかったのだろうか」「いや、戻ってきてよかったんだ」――。揺れる気持ちを抑え続けながら過ごしてきた半年。その選択は息子の被曝によってぐらりと揺らぐ。張り詰めていた糸がぷつりと切れた

 泣き続けるるりさんに道範さんはぴしゃりと言った。 「出ないと思ってたのか」。そう言われると、なおさら自責の念に駆られた

 「夫だってものすごくショックだったはず。でも、ああでも言わないと、自分まで頭がおかしくなりそうで、夫自身も自分を納得させるために言ったんだと思います」(るりさん)

 同じ食卓を囲む家族の中で、なぜ長男だけが被曝したのか。悲しみに打ちのめされながらも原因を探った。学校の給食か、たまたま長男だけが食べてしまった何かか……。やがてそれは、県外から取り寄せていた牛乳ではないかと思い当たる。育ち盛りの長男が1日に1リットル以上飲んでいた牛乳。まさかと思った。県内産の牛乳は危ないと思って、わざわざ県外のメーカーから取り寄せていた牛乳だった。果たして、その牛乳からセシウムが30ベクレル/kg検出された

 それ以降、自ら食品測定を行い、子供たちの内部被曝をチェックし、自分たちの手を動かして子供を守り続けている




父親たちが必死の除染活動

 内部被曝だけではない。外部被曝を避けるために、子供たちが遊ぶ「安全な場所」を作ることも欠かせない。必要となるのは、地道な除染活動だ。
 道範さんは、近所の父親仲間に声をかけ、子供が走り回りそうな場所から除染を開始。自宅周辺、幼稚園や知り合いの自宅敷地内と、そのエリアを徐々に広げていった。「自治体が対応するのを待っていては手遅れになる」と、自ら木を伐採し、表土を削り、屋根や壁を洗い、側溝の掃除をした。気の遠くなるような除染活動をコツコツと続けた

 自宅敷地内には自らモニタリングポストを設置。「国が設置するモニタリングポストの値は、信頼できないものが少なくなかった」(道範さん)。どれほど高い値であったとしても、正確な線量を知らなくては意味がない。本気で線量を下げるつもりでやっている道範さんにとっては、気休めの数値を知ることなど無意味だった


モニタリングポストの前に立つ(左から)三女の如恩(のの)ちゃん、るりさん、道範さん、次男の樹心(じゅしん)くん






















 建物の中も油断できない。同じ家の中でも、放射線量が高い部屋と低い部屋があるのだ。部屋にはいつもガイガーカウンターを置き、常時計測した。「ペットボトルに水を入れて窓際に並べると効果がありそうだ」と分かれば、窓際にずらりとペットボトルを並べた。誰に教わったわけでもない。自分たちで、自分たちが生きる道を少しずつ探っていった





建物内の放射線量を測り、モニタリングする電光掲示板(写真は敷地内にある幼稚園のもの)



 夏場の猛暑の中でも父親たちの除染活動は続いた。気温が30度を超える中、大量の汗を流しながら父親たちは必死に放射能と闘い続けた。震災後、半年が過ぎてもウインドブレーカーを着て、マスクをして学校に通う子供たちを見ていると、父ちゃんたちの苦労などたいしたことなかった」(道範さん)。子供が元気に屋外を走り回れる姿を想像しながら、道範さんは父親仲間とともに除染を続けた

 地道な除染活動は、徐々に効果を見せ始める。自宅の周りの線量は如実に下がった。震災後、自宅周辺の空間線量は5マイクロシーベルト/h(μSv/h)、線量が高い雨樋の下などは30μSv/h程度あった。それが、現在では空間線量が0.18μSv/hほどにまで下がっている。「地道にやれば線量は下げられると実感した」(道範さん)。


子供たちが遊ぶ場所を父親たちが必死に除染し続けた 除染の中でも、特別大きなプロジェクトになったのが、二本松市岳温泉にあるグラウンドだ二本松市街から車で15分程度の場所にある岳温泉は、市街に比べて比較的線量が少ない場所。高村光太郎の「智恵子抄」でも歌われた美しい安達太良山の麓に広がる緑豊かなこの場所に、子供たちが思い切り遊べるグラウンドを作りたい――。そう思い、1万平方メートルの土地を“開墾”。母親と父親が休日に集まり、多くのボランティアとともに少しずつ作業を進めていった2012年5月に背丈以上に伸びた草をむしるところから始め、重機で表土を削り、人工芝を埋め、10月には線量を0.1μSv/h以下にすることができた

 まだ残暑厳しい折にできあがったそのグラウンドを、真っ黒に日焼けした道範さんは、誇らしげに見つめていた。トウモロコシ畑を切り開いて野球場を作る農夫を描いた米国映画になぞらえ、「まさに、僕たちの『フィールド・オブ・ドリームス』ですね」と顔をほころばせた。

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雑草が生い茂る状態から始めた二本松市岳温泉のグラウンド作り

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左写真の状態から半年近くかけてグラウンドを整備した





 2012年10月に開催された幼稚園の運動会では、そのグラウンドを約100人の子供達が裸足で駆け回った。るりさんは涙ぐみながら懸命に子供達にカメラを向けた。集まったお母さんたちは目を細め、子供たちにはち切れんばかりの声援を送り、「何番でも、自分の子供が一番ですね!」と声を弾ませた





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2012年10月に開催された運動会にて裸足で駆け回る子供たち

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カメラを構えて子供たちを見守るるりさん







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安らぐ場所を求めて故郷を離れる「保養」

 こうした地道な除染活動が実る一方で、実際は、家の周りの公園や空き地はまだ線量の高い場所が多い。「虫、花、草、水たまり、砂場。子供の大好きな場所に限って放射線量が高い」(るりさん)。そのため、母親は常に子供に目を光らせながら「あれは触っちゃダメ、こっちには行っちゃダメ」と注意し続けなくてはいけない。何度注意しても草木に触り、線量の高い場所に行きたがる子供。言うことを聞かない子供をいつの間にか強く叱りつけてしまい、自己嫌悪に陥る母親も少なくない。屋外で遊べない上に、何度となく叱られる子供にもストレスがたまる5歳の子供を持つ母親は「昆虫が大好きな息子に、触っちゃだめと叱るのは本当に辛い。子供も辛いし、怒る自分も辛い」という。

 こうした育ち盛りの子供を外でめいっぱい遊ばせてあげるために行われるのが県外での「保養」だ。北海道や新潟、宮崎など、全国から受け入れてくれる場所を探し、母子で“羽を伸ばしに”行く。子供は本能のままに花を触り、虫をとる。母親はそんな子供をほほえみながら見つめているだけでいい。「保養にいくと母親の顔がぱっと晴れる。行って初めてどれほど自分がぴりぴりしていたか、どんなに気持ちが張り詰めていたかと気付くんですよね」(るりさん)。故郷とは、帰してほっとする場所であるはず。それが今、福島にいる母親たちは、故郷よりも気持ちが安らぐ場所を探して、週末ごとに旅に出なくてはいけない。

 こうした苦悩と闘いながらそれでも福島で生きていくと覚悟を決めた母親たちが、福島で暮らす家族を支えている。道範さんは言う。

 「ここで暮らすという母親の決断の重さは計り知れない。母ちゃんたちの頑張りなくしては、僕ら家族はここにいられないと思う」


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北海道上川郡東川町での「保養」の風景。子供は屋外でめいっぱい遊べる。
福島に生き続ける人たちのそれぞれの選択

 福島県の県外避難者数は5万6920人(2013年3月現在)。この数は県の人口の約3%に過ぎない約190万人はいまもなお福島に住み続けているのが実情だ

 福島に住み続けている人が、すべて佐々木さん夫妻のように確固たる意思を持っているわけではない。190万人いれば、190万通りの事情があるはずだ。もちろん財政面の事情もあるだろう

家族のつながりがまだ根強い地方ゆえの悩みもある。「子供を連れて、あんたたちだけ避難するのか」と両親に言われて、それでも避難できる家族がどれほどいるだろうか子供のために避難したい母親、生活の保障のない見知らぬ土地で生きていく自信がない父親。夫をとるか、子供をとるか、究極の選択に迫られて「母子避難後に、そのまま離婚に至った夫婦を何組も見てきた」(るりさん)。

母親の中には、福島で暮らすことを決めたものの、放射線量の数値を見るのが辛くて、“見なかったこと”にして過ごす人も多いという。積極的であれ、消極的であれ、福島で暮らし続けないといけない人がいるのは事実だ

 「事情が何であれ、ここに住み続けなくてはいけない子供がいる限り、全身全霊をかけて子供達を守っていく責任と義務が僕らにはある。誰かが始めなくちゃいけないなら僕らでやろうと思った。今僕らが始めれば、100年かかることが、99年になるかもしれない」(道範さん)

 こうした活動には、支援の声だけが届くわけではない。「除染なんてするから、子供たちが住み続けてしまうんだ」「子供のことを考えたら福島に住まわせるなんて非常識」といった声に、母親であるるりさんは何度も迷ったり、落ち込んだりした。でも、とるりさんは言う。

 「年間1ミリシーベルト以下を保証できれば、ここで生きていていいですよね……?」
 消え入るようにそう言ったるりさんの声には、この2年間の彼女の苦悩が詰まっていた。福島には震災から2年経った今も、癒えない傷が残っている。そればかりか、その傷からはずっと血が流れ続けているのだ

 「大切なのは避難できる人、避難できるけどしない人避難できない人それぞれの生き方が尊重されることだと思うんです」(道範さん)

 今でもこの選択が正しかったのかどうか、自信はないそれでも、佐々木さん夫婦は、「福島で生きること」の可能性を今日も探り続ける。


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◎.どう考えてもこの「事象」は起きてはならないことであると思います。国が安全を保証することを前提の指示が出せないなら、処置が出来ないならば「本人達」の意志に添ったバックアップをしなければ成らないのでしょう

 自主性を重んじることも大切でしょうが、今は、既に、(初めから)、丸投げの様相を呈しています。「生活は一生」ですが少なくても今後30年は被爆の恐れを拭えない条件の元で「頑張って下さい」と言うにはそれなりの保証が無ければならないはず

 国の決めた「1ミリシーベルト/年」、この可能性を信じて独自で帰郷することを言葉悪いけど「手ぐすね引いて待つ行政」は、大量の「被爆障害者の出る事」も覚悟の上なんですねこういう行為を何と呼んだらよいのか解りませんが「非道徳」であることには間違いありませんね。 とにかく前掲の記事にある「事象」は重大な事実として国の責任は何があっても免れないところです。 ツイートの技術があれば総理にもこの思いぶつけたいところですが・・・。 (keniti3545)


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「プラス1」

脱原発でも電力輸出超過 ドイツ前年の4倍
2013年4月3日 東京新聞夕刊


 【ベルリン=宮本隆彦】二〇二二年までの脱原発を決めているドイツで、一二年の電力輸出量が六百六十六億キロワット時となり、輸入を二百二十八億キロワット時上回ったことが分かったドイツ連邦統計庁が二日発表した


 東京電力福島第一原発事故を受けて八基の原発を閉鎖したにもかかわらず、輸出の超過量は一一年の四倍近くに増加。太陽光や風力発電などの再生可能エネルギーの急速な普及が要因となったとみられる


 輸入は四百三十八億キロワット時。輸出が輸入を上回った結果、十四億ユーロ(約千六百八十億円)の黒字となった。前年の輸出超過量は六十億キロワット時だった


 輸出先はオランダが最も多く二百二十六億キロワット時。輸入はフランスからが最多で百三十二億キロワット時となっている


 ドイツでは一二年の再生可能エネルギーの発電割合が原発より6ポイントほど高い22%と過去最高を記録した


 ドイツは東電福島原発事故後の一一年六月に脱原発を決定。国内にある原発十七基のうち八基は即時閉鎖残る九基も二二年までに閉鎖する



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どこかで事故が起きないうちに原発は止めましょう!!

(2013年04月04日08:15 NuclearFC 原発ウソ)

原子力規制委員会東京・中日新聞

危うい40年廃炉 特別点検すれば 最長20年延長 原発の運転期間を原則四十年に制限する制度(四十年廃炉)に関し、原子力規制委員会が三日、例外的に最大二十年間の延長を認める場合の基準を明らかにした。



原子炉や建屋の健全性を、これまでより詳しく調べる「特別点検」を電力会社に義務づけるという。ただ、老朽化で原子炉がどのくらいもろくなるかなど重要な基準が固まっていない問題もあり運用しだいでは制度が形骸化する恐れもある。

*↓全文は此方で
http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/7022165.html


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