「keniti3545」since72:12月26日(水)晴れ強風-3℃「東日本大震災」「311フクシマ」657日 今日の一題「安倍総理の返り咲きに思う」

*朝トレ:強風に付朝トレ中止の指示


*「東日本大震災」「311フクシマ」657日


今日の一題 安倍総理の返り咲きに思う」


 自民党総裁安倍晋三氏が第96代総理大臣に選出されました」


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◎.マスコミに「国民は疑心暗鬼」、そのマスコミがこれから「新首相のケツをたたく強力」な「マスメディアプロパガンダ」を繰り広げるのか?! 国民はどう対応すべきなのか!! やはり、「マスコミのごり押しに対抗出来る」のは、最早というか、やっぱり「個」の結集が出来る「ネット」の力だけでしょうか?! 


「フクシマを思い、そしてみんなが思ってる」「小さな満足と欲張らない心」の結集か!! 

 一昨日朝日が社説で(見え見えの)「原発依存脱却への提言」を行うも、我々国民には後日の「アリバイ作り」にしか見えないご本尊の「阿部氏の所信表明演説をま待つが」・・・その内容も時期参院選の終わるまでは強硬発言も慎み、当たり障りのない内容に止め置かれることでしょう


今度は腹痛は使えませんし、「与党並みの力を持つマスコミ」も同調した動きを見せ政府への追従どころか、 「我が身優先」の「マスメディアプロパガンダ」を駆使するのは参院選の戦いが始まる頃でしょうか国民の粘り強い行動・官邸前デモも力強く続いてはいます。

しかし我々の意思表示の力「さらにパワーアップする為・マスコミに負けない為」に育てるには、 「個」としての「情報交換と発信」の輪を一段と広げること。最終的には、 「報道の力が一握りの人種にによって操作される」ことを『阻止する方策を我々「個」「個」も考えなければ』ならないそしてさらにその力に「勝とうとする」ならばその方策を我々『「個」人』が実践しなければならないのだろう。  



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.政府も、ムラも、マスコミも、「まだまだ国民を騙そうとする」・利権とお金という蜜を吸わんが為に・・・・。

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鬼蜘蛛おばさんの疑問箱 2012.12.22)


国際原子力ムラという諸悪の根源

 日本科学者会議の発行する「日本の科学者」の1月号の特集は、 「国際原子力ムラ その虚像と実像」である。

 このタイトルから分かるように、いわゆる原子力ムラは日本国内だけの問題ではない。福島の原発事故によって原子力ムラの嘘と隠蔽が白日のもとにさらされたが、それでもなお日本の原子力ムラのメンバーが何の責任もとらずに平然と嘘をついていられるのも、バックに国際原子力ムラによる保護があるからだ

 高橋博子さんによる「冷戦下における放射線人体影響の研究―マンハッタン計画米原子力委員会・ABCC」では、米原子力委員会、国際原子力機構IAEA)、国連科学委員会、米国放射線防護審議会(NCRP)、国際放射線防護委員会ICRPが互いに協力して、核開発は原子力発電の推進に優位な体制を形成してきたことを解説している。つまり、これらの機関における放射線防護とは、放射線の影響を無視したり隠蔽するなどして過小評価することであり、放射能から人間を守ることではない

 イヴ・ルノワール氏による「国際原子力ムラ―その成立の歴史と放射線防護の実態」も、同じく国際原子力ムラの設立の経緯をひも解いている。国際原子力ムラは「平和のための原子力」を掲げ、チェルノブイリの被害を隠蔽して人々を騙してきたのである。ルノワール氏の結論の部分を以下に引用しておきたい。


 国際原子力ムラは、危機があるたびに強化されていくスリーマイル島では、米原子力規制委員会の完全管理下にあったため、介入することができなかったチェルノブイリを処理するにあたっては、この過ちから得られた教訓を生かすことができた福島原発が爆発した時、彼らは準備万端で、「正当な」情報の管理を素早く手中におさめた。日本政府の脆弱さのために干渉がずいぶん楽になったことは確かである。いずれにしても、前述した「原子力事故援助条約」によって原子力の危機管理はIAEAに委ねられているため、これから起こりつつあることに対して、日本はいっさい客観的な解釈ができないのだ。チェルノブイリが今、繰り返されている


 つまり、福島第一原発が爆発したときから、すぐに国際原子力ムラの介入がなされ、日本は彼らの意のままになっているといえよう。事故は過小評価され、被ばくによる健康被害を黙殺することが国際原子力ムラによってすでに決められているといっても過言ではない

 ウラディミール・チェルトコフ氏によるチェルノブイリの犯罪―福島にとっての一つのモデル」では、IAEAとWHO(世界保健機関)による犯罪的な過小評価を批判している両者はチェルノブイリの事故後ベラルーシで増加し悪化する病気の大半は、ストレスや放射能恐怖症、両親のアルコール依存症が原因だとして、被ばくの影響を隠蔽したのだ

 この論説では、とりわけエートス・プロジェクトについて具体的に説明している。エートスは、1976年にフランス電力公社(EDF)とフランス原子力庁(CEA)によって設立された組織だ。エートスは1996年にチェルノブイリの事故で汚染されたベラルーシのオルマニー村の放射線測定センターにやってきた。この測定センターはワシリー・ネステレンコ博士が設置したもので、エートスはネステレンコに教えを乞うために近づいた。ところがエートスは、ネステレンコ教授に指導を受けながら、彼が所有していたデータを収奪し、ネステレンコ氏の活動を妨害したのだ

 ネステレンコ博士は、ベラルーシの汚染された地域に370の放射能測定地区センターを設置し、食物の汚染の低減などの指導を行い、りんごペクチンをベースにした栄養補助食品によって、子どもの臓器に取り込まれたセシウム137の体外排出に取り組んでいた。ところがエートスは子どもたちに放射能吸着剤を投与することを拒否してモルモットにしたのである。エートスは、あたかもチェルノブイリの被災地を支援するように見せかけ、子どもたちをモルモットにして放射能による被害データを持ち帰ったのだ

 原子力ムラによる騙しの構造は、根が深くしかも強力だ。彼らは自分たちを守るためには何でもやる。この上もなく厄介な魔物のような集団だ。そして、福島第一原発も爆発直後から国際原子力ムラに支配されているのである。エートスはすでに福島にも上陸している。チェルノブイリと同じように放射能による健康被害放射能恐怖症だとして住民に被ばくを強いている

 国際原子力ムラのやっていることは、エセ科学を基にした原子力の擁護と推進である。国際原子力ムラについては、福島の事故以来、インターネットなどを通じて多くの人が知るところとなった。しかし、多くといっても日本人全体からしたらごく一部に過ぎない。原子力ムラの一員であるマスコミが何ら報道しようとしないからだ国際原子力ムラと国内原子力ムラに操られ、被ばくを強いられる福島の状況はまるで悪夢のようである今回の衆院選脱原発に消極的な自民党が圧勝したことは、国際原子力ムラにとっては大歓迎だろう

 恐ろしく思うのは、いわゆる原子力ムラのメンバーではない方にも、国際原子力ムラの主張と同じようなことを言っている人がいることだ。このような人たちはいったいどこまで国際原子力ムラの経緯や構造を理解しているのだろうか。今回の特集は「日本の科学者」というかなり限られた読者しか持たない雑誌だが、多くの人たちに是非読んでほしいと思う記事が多数掲載されている。


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平成24年12月23日)武田邦彦 ブログ

原発・被曝問題(1) 活断層と安全性

原発再開に向けてマスコミは盛んに「活断層」の調査について報道をしています.この段階でマスコミが作る「空気」の本質を見破っておかなければなりません.政府側はそれほど能なしでもうっかり屋さんでもなく、私たちの税金で優秀な人を多く雇って、いかにしたら世論形成(国民を騙す)ことができるかを検討しています

政府の狙いとマスコミ報道の本質

1)原発を再開したい

2)そのための「安全」のハードルをどうしたら下げられるか?

3) 活断層」で原子力規制委員会がOKする原発はすでに確定済み(そのぐらいは立地の時に調査してある。判定をほとんどしていないだけ.)

4)その結果、各電力会社で半分は稼働できる(特に関西、九州はOK)

5)そのためにマスコミ、知識人の根回しを十分にしておく。

原発を再開して欲しくないと思っている人は、「反対側」に立っていますから、政府や指導層がどの程度の準備をしているかをウッカリすることがあります。でも、政府と東大、それにNHKを上げて準備をしているのですから、それなりの力はありますし、「原発が必要だ」という確信も持っています。

再開に反対の人でもウッカリ、活断層の論争に巻き込まれている人がいます。現在、敦賀東通原発が報道されていますが、これも作戦の順序に従っています.まずは活断層がある原発は再開しない」ということで「安全を確保してから原発を再開している」という「実績」をつける予定です。

もともと日本の原発の内、敦賀はもう古いし、東通は建設中ですから、止まっても大したことはない、とりあえず敦賀は止まることになるから、その時には日本原電が「公開質問状」を出して「真面目にやっている」という形を作るという作戦です

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原発の安全性の内、「耐震」は問題の一つだけです原発の安全性を支配する大きな問題は

1)これまで原発が安全であるという概念の一つだった「固有安全性」が破れた原因とこれまでの審査をやり直すこと(固有安全性は要らないのか)、

2)これまでのもう一つの概念だった「多重防御」が破れた原因とこれまでの審査をやり直すこと(多重防御は不要なのか)、

3)これまで「1万年に1度以下の確率の事故の場合、1年10ミリまで、きわめて希に起こる事故の場合1年5ミリまでと決めていた被曝基準を変更するのか(被曝基準が変わると安全基準が変わる)、

4」地震津波、台風などの自然災害、制御室の爆破などのテロ、誤作動などのエンジニアリグの故障などに対して上記1)から3)までを再研究

5)事故が発生した場合の避難の具体的方法の決定、食材、土壌などの被曝限度の設定(被曝限度が決まっていないと安全基準を決められない)、
などが主要な問題です.この中には活断層」は表面的には出てこないほどの小さなものです

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*.これは取りようによっては見逃せませんね、武田先生。再稼働阻止の重要課題に対して、「たいした問題」ではないは、必至で活断層否定の会社サイドへの援護にも聞こえてしまいます。 (keniti3545)

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この他に、社会科学的な問題として

1)実施者が事故の責任を免除される体制で安全を守ることができる原理原則の研究

2)技術者個人が設計施工に責任をもつ「専門家制度」の活用がなくても、安全を保てる理論の構築

3)安全にかんする国の関与の能力と御用学者・専門家の問題
等が未解決です.

つまり、「安全」とは「総合的」であり、かつ「論理的」なもので、工学的装置では抽象論、観念論、また思想などで決まるものではありませんでも現在のところ安全を維持する上でもっとも重要でかつ禁じられている考え「必要だから安全」が主力になっています

原発は危険だといっている人がいるが、年間3兆円の損害をどうするのか?」などがそれにあたり、まるで50年前の工学に帰ったような野蛮な考え方です

私たちは日本の国民、国土を守り、子どもたちに対する責任を果たすために、活断層のトリックにごまかされず、誠意を持って考えたいと思います

またマスコミがこのことを伝えないのは政府が「必要だから安全だ」という立場を取り、それに右へならえしているからです

平成24年12月23日)武田邦彦

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日本の放射能被爆の原点を風化させまじ

「ゲンは遺書」 原爆への憤り刻む 中沢啓治さん死去

 がんで闘病生活を続けながら最後までヒロシマと向き合い、原爆の恐ろしさを訴え続けた中沢啓治さん。「『ゲン』はわたしの遺書」という言葉を残し、73年の人生を閉じた

 「原爆はお袋の骨まで持っていくのか」。母の火葬後、ほとんど残らなかった遺骨を目の当たりにして増幅した怒りが、原爆をテーマにした作品を描く原点になった

 1973年にスタートしたはだしのゲン」の連載。40年近くを経て、今年度から広島市平和教育の教材に使われ始めた。今夏、朝日新聞のインタビューに応じ、中沢さんは「連載を始めた当時、漫画はばかにされ、社会的地位を得ていなかった。思いもよらず感慨深い」と語った。

 自伝となる「はだしのゲン わたしの遺書」(朝日学生新聞社)を今月、出版したばかり。「わたしが伝えたいことは、すべてあの中にこめました」と結んだ。担当編集者の佐藤夏理さん(35)がインタビューで最後に会ったのは今年6月。「がんになっても車いすで講演に出かけるなど、被爆がいかにひどいかを伝えたい思いを持ち続けた人」と惜しんだ。

 長女、新井恵子さん(45)によると、中沢さんは2010年に肺がんが見つかり、手術で摘出。心不全と肺炎を繰り返し、入退院が続いた。今年8月ごろまでは講演の依頼を受け、家族が断るよう勧めても、「今しゃべらないでどうする」と語っていたという
 11年の8月6日、初めて広島市の平和記念式に出席した。「見納めになるかもしれない。首相が核兵器廃絶の決意をどんな言葉で語るか、見届けたい」という思いからだ原発事故に「広島、長崎の教訓が生かされていない」と憤った

 広島平和記念資料館は「ゲン」の連載開始40年となる来年、企画展を計画していた。前田耕一郎館長(64)は「原爆の恐ろしさを伝えてこられた功績は計り知れず残念だ」と肩を落とした。ドキュメンタリー「はだしのゲンが見たヒロシマ」(11年)で聞き手を務めた、NPO法人「ANT―Hiroshima」代表の渡部朋子さん(59)は言う。 「『ゲン』は広島の宝物。子どもたちに、とにかく読んでほしい」
 今年9月、中沢さんは広島市立矢野南小学校を訪れ、小学6年生約150人に語りかけた。「平和だからこそ、ご飯を食べたり家族とだんらんしたりできる。一番身近な家族を大事することが大切だよ」。 最後の講演となった

 同小では「ゲンの麦」を屋上の畑で育てる計画がある。11月に麦植え式を行ったが、中沢さんは体調が悪くて式に出席できなかったという。佛圓弘修校長(57)は「麦は今、少し芽を出している。中沢さんに見てほしかった」と話した。

 妻のミサヨさん(70)によると、中沢さんは19日、広島市内の病院で「眠るような顔で、すーっと」亡くなった。「お疲れ様、ありがとうね」。ミサヨさんはそう声をかけたという
 
 (ゲンの記憶、つなげたい 遺作の担当編集者が手記)

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