「keniti3545」since72:9月20日(木)曇り19℃「東日本大震災」560日 今日の一題「エネルギー戦略・閣議決定見送り」

*朝トレ:7時30分〜8時30分
 気持ちいい朝〜、秋の空〜久し振りの本コース、足の運びも軽やかに・・・、カラス途中から姿見せたのは1羽のみ「お前倅で留守番かい」? 返事しないであっち向いてしまったが、その後もじっと飛び立たない。見張りだな〜、でも倉井さん家の庭には姿見えなかった。ま、いいか、「走が9本入った」久々の「B上」メニュー完。それ急げ〜「4日ぶりの卵掛けご飯」が待ってるぞ〜!


*「東日本大震災」「311フクシマ」560日


今日の一題

原発ゼロを目指す新しいエネルギー戦略の閣議決定見送り」に、
「対極全てのマスコミからもブーイング」!!



朝日新聞社20日

脱原発政策―うやむやにするのか


 野田政権が、原発ゼロを目指す新しいエネルギー戦略の閣議決定を見送った。

 まことに情けない。

 新戦略は「原発ゼロ」を掲げながら核燃料サイクル事業を容認するなど、矛盾に満ちてはいたが、これでは肝心の脱原発までがうやむやになりかねない。


 閣議決定の見送りは、米国や経済界、立地自治体が原発ゼロに強く反対しているためだ。

 脱原発はきわめて大きな政策転換である。あつれきが生じないほうがおかしい。

 大事なのは、原発に依存しない社会に向けて、政治が原発維持派との折衝を含め、きちんと取り組んでいるか、私たち国民が監視していくことだ。


 折しも、きのう原子力規制委員会が発足した。

 原子力の推進と一体だった業界監視から、国民の命と安全の確保を第一義とする仕組みへ、規制のあり方を根幹から立て直す重い任務を担う。

 さっそく焦点となるのが、原発の再稼働問題である。

 ストレステストの実施や旧原子力安全・保安院が定めた30項目の安全基準、関係閣僚による政治決定といった暫定的な枠組みは、ご破算になる。

 いくつもの原発で、大地震や敷地内外の活断層が及ぼす影響が懸念されている。対象範囲を拡大した周辺自治体の本格的な防災対策もこれからだ

 規制委は、純粋な科学的見地から、妥協を許さない基準づくりと審査を貫いてほしい。

 気になるのは、野田内閣が原発再開の可否をすべて規制委に委ねるような姿勢を示していることだ。

 たとえ規制委がお墨付きを与えたとしても、「絶対安全」は存在しない。原発のリスクがゼロにならない以上、再稼働は最小限に抑えるべきだ。

 どの原発を動かし、どの原発を止めるか。その判断は、安全性に加えて、電力需給などの観点からも検討すべきものだ。これは規制委ではなく、まさに政治の仕事になる。

 政府は具体的な指標づくりの場を設け、作業に入るべきだ。電力需給の検証のほか、地域を越えた融通の可能性、電気料金への影響などが検討の対象になる。国会議員有志が発表した「原発危険度ランキング」のような仕組みも参考になろう。

 野田政権は、新戦略を踏まえたエネルギー基本計画を閣議決定するという。

 ここで原発ゼロの目標を盛り込めないなら、民主党政権は国民から完全に見限られることを覚悟すべきだ。


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東京新聞社20日

閣議決定見送り脱原発の後退許されぬ

 政府が「革新的エネルギー・環境戦略」の閣議決定を見送った。二〇三〇年代の原発稼働ゼロという目標すら後退しかねない。脱原発に本気で取り組む意気込みが野田佳彦首相にあるのか、疑わしい。
↓ 記事全文
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012092002000111.html


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毎日新聞社20日

原発ゼロ政策 政権の覚悟がみえない

  これでは政策実現への決意が疑われる。野田内閣は、原発ゼロ目標を盛り込んだ「革新的エネルギー・環境戦略」に関し、柔軟に見直しながら遂行するという方針だけを閣議決定し、新戦略そのものは参考文書にとどめた。

 政府に対する拘束力が弱まり、脱原発は骨抜きになりかねない。 野田内閣は、国民的議論を踏まえた決定の重みを認識し、脱原発への覚悟を示すべきだ。 
↓ 記事全文
http://mainichi.jp/opinion/news/20120920k0000m070155000c.html


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各紙と対極にある読売ですら、 「あいまいだ!」と!


9月20日付・読売社説

原発ゼロ方針 「戦略」の練り直しが不可欠だ

 こんな決着では、「原子力発電ゼロ」を見直すのか、それとも強行するのか、あいまいだ

 政府は、日本経済や雇用に多大な打撃を与えかねない「原発ゼロ」を明確に撤回し、現実的なエネルギー戦略を練り直すべきである。

 政府が、2030年代の「原発稼働ゼロ」を目指すとした「革新的エネルギー・環境戦略」の閣議決定を見送った。
↓ 記事全文
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120919-OYT1T01463.htm



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「プラス1」

「二つの被爆地」 河北新報 シリーズ 6/8

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(keniti3545)

◎.悲しい! 「心の半減期セシウム半減期以前に開襟になってしまう」のか! この事象は日本の推進派には直ぐにでも利用されそうな事実だ。しかし我れはいま個人的にも、「新しいデモの実行力」、「過去から学んで這い上がってきた民族性」等からも、絶対にこのまま後戻りはしないと信じている。
 とにかく今は「脱原発を貫いて」「安全面の強化を図る技術開発」、そして何よりも「使用済み核燃料・汚染廃棄物」の後片付けを、今ベストと思われる方法で「実作業を進め」ながら「同時進行形」で新しい技術開発にも力を入れなければならない。
 大きくは、「廃炉産業」と言うことになるのだろう。また、この道の「パイオニアになれる最短距離」にいるのも日本だろう。悲しがっているときでもないし、迷っているときでもない。それにしても、確りしてくれ政府!! 先日の我れ、「駒形どぜう」の喰いが浅かったのかな〜(笑い)

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(6)心の半減期/影潜める原発反対論/「経済的に不可欠」

南側から見たチェルノブイリ原発の原子炉建屋。煙突の右側が2000年まで稼働した3号機で、左側が爆発した4号機













<99%火力頼み>

 1986年のチェルノブイリ原発事故で大被害を受けたベラルーシは今、初の原発建造に向けてひたすら進んでいる。 

今年7月にはロシアと建設契約を結んだ。2017年に1号機、20年に2号機を稼働させる。
 建設地はリトアニア国境に近い北西部のオストロベツ。コンクリート工場の設営や道路、住宅の建設など関連工事はもう始まっている。

 事故でベラルーシは、13万8000人が強制的に家を追われ、20万人が自ら移住した。首都ミンスクの近くで進んでいた原発建設も中止した

 そんな国がなぜ原発推進を選ぶのか。

 非常事態省のウラジミール・チェルニコフ局長は言う。「原発の経済性に代わる発電はない。事故が起きないようにすればいい」

 隣国では、ロシアとウクライナが国境近くで原発を運転する。リトアニアにも計画がある。「他国で事故が起きれば影響を受ける。私たちが初めて原発を造る国ではない」。自国だけが安全に配慮しても仕方ない、と言わんばかりだ。

 ベラルーシは発電量の99%を火力に頼る。国土は平たく、水力資源に乏しい。強い風も吹かず、高緯度で太陽光も期待できない。輸入で賄う石油・ガスへの依存を減らし、現在75%の電力自給率を上げるには原発しかないと政府は走る。「国民アンケートでは原発賛成が多数だった」とチェルニコフ局長は強調した。


<「共生できる」>

 ウクライナはもっと脱原発から遠い。15基が稼働、2基を建設する世界6位の原発大国。日本大使館によると、原発の是非をめぐる国民的な議論は現在、ほとんどない。

 命懸けで事故の収束に当たった元作業員は、放射線障害の苦しみをひとしきり語った後、「原発とは知恵を絞れば共生できる」と語った。事故の悲惨さを語り継ぐチェルノブイリ博物館の職員も「経済的に必要だ」と言い切る。

 あの年、原発から120キロ離れた300万都市キエフでは、子どもの姿が消えた。ガイドのボロゾワ・バレンチナさんは異様な光景だったと振り返る。

 自身も3歳と8歳の子を5000キロ離れた古里のブリヤートに必死の思いで避難させた。戻したのは1年後。しばらくは外出するたびに頭を洗い、毎日部屋を掃除した。

 原発はもう嫌と思った」。そのバレンチナさんも今は原発を受け入れる。「忘れない。でも慣れた。ウクライナ人の多くはそう」と話す。


<爆発後も共有>

 チェルノブイリ原発は4号機の爆発後、電力不足に対応するため、翌年までに1〜3号機の発電を再開した。国際社会の圧力で運転を停止したのは2000年だった。

 現地を訪れて驚いた。3号機の原子炉建屋は4号機と共有だった。飛び散った核燃料を封じ込める石棺と、同じ屋根の下で、14年間も原子炉を動かし続けたのだ。

 東京電力は福島第1原発5、6号機と第2原発の廃止を明言しない。チェルノブイリを見れば、再開は絵空事でもない。

 福島の事故後、日本では脱原発の世論が沸騰したが、人の心は移ろう。心の半減期は短い。日本のこれまでと、ベラルーシウクライナを見て、強く思う。
 全てを決めるのは国民だ。行方はまだ分からない。

2012年08月20日月曜日

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◎.放射能半減期待てずに開襟・「のど元過ぎれば・・・」、この例を見ればこそ我々は数倍・数十倍耐えなければ成らないのでしょう。残りいくらもない我れが言葉するのは無責任かも知れませんが、少しでも良い環境を孫共に残し、きれいな青空の上からサッカーの応援がしたいと本気で思ってます。 (keniti3545)

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