「keniti3545」since72:9月16日(日)晴れ18℃「東日本大震災」556日 今日の一題「懐郷の思い:血の通わぬ言葉群」

*朝トレ:7時30分〜8時30分

 今日も気持ちよい朝〜、秋空の朝〜です。今日も良い天気、我れは脳天気、「ノー天気」この時間は我れなんかより「カラス」の方がよっぽど色々考えているんだろうな〜。毎日全ての生き物は、毎朝食べることから考え始めるのが自然の姿なのだろう。

 だとすれば、自分が「個」として立ちゆくためには原則として朝の食事の心配をし、何らかの形で関わるべきなのだろう。どう考えても今日は「卵掛けご飯が良いかな〜」、「納豆ご飯かな〜」、「目玉焼きが出てきてしまうかな〜」こんな心配をしているのは自分の食事に関わっているとは言えまい。特に、自営・務めに拘わらず「仕事からリタイヤした人間が朝の食事の心配をしない」のは「精神面に緊張を欠く要因」の一つであり「ぼけ」て行く一大要因なのではないか?と言う気が最近してきている。

 此処で何か一つの条件を課すことが出来れば救いようもあるのだろうが、二年経っても未だ何も考えない(遣らない)ぐうたら人間の我れだ。まるで、「日本の怠惰な政治屋」みたいでカラスの生き様にも悖る。

 その「カラス」今日は大物の餌にありついたらしく、倉井さん家の庭を外れた青地から、電線上へ代わる代わる餌をくわえ上げてお食事だ。一回ごとくちばしをきれいに電線で磨いてから下りてくる。我れのすがたは遠目でも、食事の時だけは「人畜無害」とは見なさないみたいだ。 我れの朝トレメニューはいつもの「B下」完 でした。




*「東日本大震災」「311フクシマ」556日



今日の一題  「懐郷の思い:血の通わぬ言葉群」
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「帰還権」強制移住「汚染廃屋埋められて墓場の土まんじゅう」「かっての高層アパート群が森に沈みかけている」「若い人が中心の5万人の町毎年100人の赤ちゃんが生まれた町が無人になり26年が経つ」「89年から面的除染はせず」 ・ 「高い汚染地区は除染ではなく移住」「30キロ圏への帰還は数百年間は許可しない」「家に帰れない絶望。それが一番つらい」「年に一度、古里への墓参が許される」

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2012年09月16日00:00 NuclearFC:原発のウソ
チェルノブイリ河北新報社9/16 


二つの被ばく地 (2)葬られた街/帰還権なき強制移住/消せぬ懐郷の思い














森に沈むプリピャチ中心部の建物。5万人が暮らした街が無人となって26年がたつ

<162地区の墓標>

 検問を抜けると、風景が変わった。畑がなくなり、森が深くなる。人影も消えた。
ウクライナの首都キエフから北に車で2時間。

 チェルノブイリ原発の30キロ圏は事故26年後の今も、ベラルーシ側の一部を除き、一般の立ち入りが禁じられている。


 事故当時、30キロ圏に住んでいた11万6000人は強制移住させられた。時折、廃屋が見える。汚染のひどい家は壊されて埋められた。その跡がこんもりと、墓場の土まんじゅうのように連なる。


 原発まで十数キロ。事故処理の基地になっているチェルノブイリ市には、「希望の小道」というモニュメントがあった。

 強制移住で消えた162の居住区の標識が200メートルにわたり立ち並ぶ。花も供えられている。まるで墓標だ。長泥(福島県飯舘村)、赤宇木(浪江町)、夫沢(大熊町)。福島第1原発事故で放出された放射性物質が降り、住民が避難を強いられた地域の名が浮かぶ。

 高層のアパート群が森に沈み掛けていた。原発から3キロの街プリピャチ。「古代遺跡だな」。視察団から嘆息が漏れた。


<面的除染せず>

 5万人が暮らした原発職員のベッドタウン。平均年齢は26歳で毎年、赤ちゃんが1000人生まれた。若い、活気のある街だった。

 キエフチェルノブイリ博物館での説明を思い出す。「原発ウクライナの誇りだった。プリピャチの人は将来に自信を持って暮らしていた」

 その街が無人となり、26年が過ぎた。メーンのレーニン大通りは草木が茂り、獣道寸前だ。壁がはがれた劇場。無言の遊園地。赤さびたイルミネーションの中、鎌とハンマーをかたどる旧ソ連の国章だけがアルミ製なのか、銀に輝いていた。

 旧ソ連は89年まで大規模な除染を行ったが、膨大な経費の割に効果が薄く、大量の廃棄物が発生する問題もあって中止した。

被災地が広がるウクライナベラルーシ、ロシアの3国は現在、面的な除染はしていない。高い汚染地は除染ではなく、移住が原則だ。

 「元の居住区に住民が戻った例はない。26年で家もインフラも壊れた。帰還させる案は全くない」。ベラルーシ非常事態省の担当局長は断言した。ウクライナ政府も30キロ圏への帰還は数百年間は許可しない考えで、「半分は永遠に立ち入りが制限される」とする。


<住民が選択を>

 ロシアの被災地支援策に詳しい現代経営技術研究所(東京)の尾松亮主任研究員はこう提言する。「被災者の権利は幅広くした方がいい。移住権と帰還権をセットで設定するべきだ」
 日本の避難基準は年間20ミリシーベルト。それを下回る地域にも一定の基準を設け、移住か居住かを住民が選べるようにする。

 その上で、一方通行の「出ていく権利」だけでなく、線量や土壌汚染が低減した将来、古里の復興に尽くせるよう、復帰を支援する仕組みも用意しておく。帰還権は旧ソ連3国にはない概念だ。

 土地が国有だった旧社会主義国では、郷土への愛着が日本と比べて薄いとみる向きもある。でも、それは違った。

 「家に帰れない絶望。それが一番つらい」。プリピャチからの避難者は昨年11月、福島県の民間調査団に答えた。年に一度、古里への墓参が許される正教の春の招霊祭。立ち入り禁止区域は大勢でにぎわう。懐郷の思いは葬れない。

河北新報社 2012年08月16日木曜日


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◎.日本政府は東電と共にこの現実から学び取り、「福1」原発の被災者の皆さんにも「事実の把握」「身の振り方」などに寄り添う施策を立て直す必要も起きているのではないでしょうか。 (keniti3545)

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