「keniti3545」since72:9月2日(日)晴れ19℃「東日本大震災」542日 今日の一題「何度でも問う・エネルギーどう決断する」!

*朝トレ:雨、中止。




*「東日本大震災」「311フクシマ」542日



今日の一題  何度でも問う:「エネルギー・どう決断する」?!


【社説】東京新聞
週のはじめに考える 「エネルギー選択」の虚構 2012年9月2日

 ことしの夏は「原発ゼロ」でも大丈夫でした。政府は近く、二〇三〇年のエネルギー選択を提示する予定ですが、今夏の実績をどう受け止めるのか。

 まるで拍子抜けするような結果です。政府や電力会社は夏を前に「原発が動かなければ大停電になる」とか「日本経済が大混乱する」と言い続けてきました。

 野田佳彦首相が「仮に計画停電を余儀なくされ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます」とまで言い切って、関西電力大飯原発の再稼働を決めたのは六月八日です。

◆ 夏の電力は余っていた

 ところが本紙報道(八月二十九日付一面)によれば、関電管内では二十六日までの八週間で事前の需要予測を10%も下回り、原発なしでも余力があったことが分かりました。関電の広報担当者は「節電効果があり、現時点では原発がなくても供給力は維持できた」と認めています。

 これは予想とか分析ではなく、「はっきりした事実」です。政府の見通しは外れました。

 さてそうなると、多くの人が次のように考えるのは当然です。「今年の夏が大丈夫だったなら、なにも無理して原発を動かさなくてもいいのでは?」

 それほど原発事故の怖さは身に染みました。なにより故郷を追われた十六万人の「さまよう人々」が、いまも不安ややり場のない怒りと葛藤しているのです。

 素朴な疑問こそ本質を突いている。政府は人々の問いに真正面から答える必要があります。

 政府は六月末、三〇年の原発依存度を「0%にする」「15%にする」「20〜25%にする」という三つの選択肢を示しました。これを基に、近くエネルギー戦略をどうするか決める予定です。

◆ 倒錯している政策手順

 どんな場合でも、将来の政策を考えるには、まず現状が前提になります。いまの時点で電力は足りているのかいないのか。原発の安全はきちんと担保されているのか。それが議論の出発点です。

 関電の電力需給は「余力があった」と判明しました。それだけではありません。独自に問題を検証している大阪府市・エネルギー戦略会議の調査では、西日本の六電力合計で約一千万キロワット分も余剰電力があったことが分かっています。万が一、関電だけでは足りなくなっても、各社でやりくりすれば十分な数字です。

 そうであるなら、三〇年を待たずに「いますぐゼロ」という選択肢だってあるはずです。少なくとも、議論のテーブルに上がっていなくてはおかしい。

 そもそも安全を担保する体制を整えないまま、三〇年の原発依存度を数字で決めようという姿勢が根本的に間違っています。

 原発を再稼働するなら安全を最優先にしなければなりません。ところが大飯原発を再稼働させた基準は泥縄式で決めた暫定措置でした。野田首相自身が記者会見で「これから三十項目の安全対策をやる」と言っています。

 それ自体、とんでもない話なのですが、それに加えて十八年後の原発依存度まで決めてしまおうとしている。先に数字を決めてしまったら、目標達成が最優先になって肝心の安全基準作りや基準順守がなおざりになる懸念がある。それでは元のもくあみです。

 原発を動かすなら、まず安全確保体制を整えて、それから国民の理解を得る。依存度が決まるのは結果にすぎません。つまり手順が完全に逆なのです。


 15%などの数字を決めた政府の審議会も形ばかりでした。それは議論をしている最中に、野田首相が「原発は単に夏の電力確保のためだけでなく、社会全体の安定と発展のために引き続き重要だ」と発言した一件で明白です。「先に結論ありき」なのです。

 こういう政策手順の倒錯は消費税引き上げの経過ともよく似ています。本来、増税しようというなら、まず政府の無駄や非効率を改め使途を明確にして、国民に理解を求めなければなりません。

 ところが実際は公約破りに加えて、肝心の社会保障制度改革を後回しにした。その揚げ句、増税法案が成立したとたんに最初の話になかった公共事業拡大の大合唱です。だから国民は政府を信用しない。それが野田首相には分からないのでしょうか。

◆ 過小評価の原発コスト

 原発を止めたら電力料金の大幅値上げが避けられない」という話も「増税しないと国債が暴落する」話にそっくりです。大本の燃料コスト削減に傾注すべき政策努力を棚上げして、脅し文句を並べるのはやめていただきたい。

 政府のコスト試算には被災者への賠償や除染、廃炉にかかる費用も極端に過小評価されています。議論の出直しが必要です。


◎.ドイツ首相の「決断力」此処まで来ると益々の「異才」・資質の違いを感じます。残念ながら!


=================


「プラス1」???

「悪意ありやなしや?」  「足りない物はある」! (keniti3545)


2012年09月01日21:53 カテゴリ
(福一原発事故ブログ9/1)  朝日新聞の全面広告 「ふくしまは、元気です」 の制作者たちへ。また安全神話に加担するのか ?けさ8月31日の朝日新聞を開いたら


「ふくしまは、元気です。」
という全面広告のキャッチコピーが眼に飛び込んできた。



そのでかい赤色ゴシックフォントの背景には紺碧の五色沼、その下にはTOKIOのメンバー5人が遠くを見ながら笑顔で立っている写真、さらにその下には、「ふくしまからはじめよう。」というキャンペーン案内。そして一番下に「福島県」という広告主のロゴが入っている。

この広告、ものすごく無理やり良心的に考えて、「シュールなアート」か「ブラックユーモア」ってところだ。

キャッチコピーの下にボディコピーがあって、「福島の秋はにぎやかです。美しい自然、旬の食、伝統の祭りの数々。楽しくて、おいしくて、どこか懐かしい風景がここにはあります。山と海と人に恵まれた、日本のふるさと。福島は、あなたを待っています。」

――どうだろう。これ、どう見てもシュールでブラックだよね。

もちろん、この広告のどこにも東京電力福島第一原発事故のこと、高線量の放射性物質拡散のこと、淡水魚の被曝のことなど一切見当たらない。

まるでチェルノブイリを超える原発事故などなかったような、平和で幸福で健康にあふれた紙面である。

どうやら、大々的に「原発事故なんてなんでもないよ」「放射能なんてぜんぜん怖くないよ」キャンペーンを展開して、またあらたな「安全神話」に着手したようだ。

ぼくもかつて広告制作にタッチし、コピーライターを生業にしたことがあるためか、ものすごく気になることがある。


この新聞広告は大手の広告会社が請け負い、その会社の社員か協力会社の制作者たちがたずさわっており、それはもちろん個々の生身の人間である。

ぼくはそんな彼らの心情を知りたい。そう、どんな気持ちでコピーライターの君は、「ふくしまは、元気です。」というコピーを発想したのか、ということだ。コピーライターばかりではなく、クリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナーなどにも訊きたい。


これまで原子力安全神話を具体的に創作してきたのは、業界でクリエーターとよばれる君たち制作者だ。危険な原発を稼働させるためには、原発は絶対に安全である、と人びとを信じさせる世論づくり、「安全神話」が必要であった。


そして、フクイチ事故が起きたのだけど、これら「安全神話」の制作者たちは、よもやこの史上最悪事故の責任はないとは考えないはずだ。

たとえば、コピーライターの君――。


「ふくしまは、元気です。」なんて、君はそうは思わないし、このコピーがどんなに悪意に満ちたものか百も承知だろ。


自分が持って生まれた文案センス、培った広告能力を悪魔に売り渡すなよ。ぼくはかつて同業者だった君たちに、怒りよりも憐れみをおぼえる。君が与えられた能力を発揮するのはだれか、胸に手を当てて考えてほしい。

――満腔からそう願う。

掲載元:秋場龍一のねごと 2012年8月31日金曜日  
 「ふくしまは、元気です。」の広告制作者たちへ。また安全神話に加担するのですか?


==================

◎.福島の人達に対する思いやりがかけらも感じられないない! 此処ではアートに繋がればよい、アイデアが解ってもらえるなら良しとする場面ではないでしょう!?  我れは秋葉龍一の寝言に賛意を表する。(keniti3545)

==================