「keniti3545」since72:7月8日(日)小雨20℃「東日本大震災」486日 今日の一題「二つの災害戦いはまだ途上!」

*朝トレ:雨・逃げられない雨、マネージャーがお茶を用意して「ダメ出し」を待っていた!



*「東日本大震災」486 日


今日の一題 「人災」と「自然災害」二つの姿「戦いは未だ途上」!!

・自然に抗って起こした人災である「原発事故」 :

 繰り返すなと大きな国民の声・力ずくでも阻止したいと「自然発生的デモ」も日を重ねる毎に規模が大きくなっていく。 「危ない原発」から・「脱」する方向と手段を示せない「政治」 その前に 「この事故の収束・住民生活の復旧復興へ向けての「活動」もベクトルの方向が定められない「政治と行政」 「国民の生活が一番」などと言う実現出来なかったスローガンを取り合う分裂した政党などに今後の「期待」をどう持てと言うのだ。それを見て今度の選挙の作戦ばかり考えている、他の政党の政治屋集団も同罪だ。何の罪、あんた達が今は未だ与党と言われている政党になすり付けてしまおうとしている「全ての罪」ですよ、みんな一つ穴の狢だ!! 


・自然が与えた余りにも大きな試練1,000年に1度と言われる大津波、何年かかって復興に成るのか解らないが、それでも必死に立ち上がろうとしている:

 家を、そして家族までも奪われた人達が「もがくようにして行動を起こしている」のです。一番の大きな問題である2000トンもの瓦礫、しかもこれらは全てそこの住民の思いでの詰まった家の柱や、亡くなってしまった家族の大切な遺留品であったり、全てが皆さんの生活の一部だったものであり、「これは決してゴミじゃない」と言います。ただ何時までもここにあれば辛い悲しい思いが忘れられないから自分達で少しでも早く片付けようとして居るんだと言い切る。

お母ちゃんも若い娘さんも防塵マスクを付けて汗を流して作業している。この最大の難関とも言うべき瓦礫、放射能汚染の値は規準値を下回ると言っても外地で易々とは引き受けてもらえず、当該地の人でさえ、当たり前だ、私だって立場が逆だったら「素直に受け入れるなんて言えない」かも知れないと諦め顔だ。1000年/1回 自然の試練にとんでもない人災である「原発の過災」まで背負わせているのだ。

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◎.原発の「あやまち」は、起こすか起こさないか人間が決められる。 自然災害は人には止められない、が、復興は地道な人の手で出来る。その方法もあるようだ。 しかし、ここでも人災が連れてきた放射性物質が邪魔しようとするが 人間が処しきれる方法も、出来るところから、人海戦術も効きそうだ。 ご褒美が上げたくなりませんか!!!? (keniti3545)

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「??」

津波から命を護る「森の長城」プロジェクト

 瓦礫をいかす。いのちをまもる。力を合わせて築く。未来へのモニュメント 「300キロの森づくり」

2012.5.26日に設立されている。

東北の海岸線に、今ある瓦礫利用して土と混ぜたものを穴を掘って埋め立て30メートル×100メートルのマウンドを築きその上に大きく育つ種類の常緑樹を植えるこの鎮守の森が出来れば成功。

そしてその延長は先ず東北の海岸線に南北300キロの「防潮、森林」そこにある自分達の生活の一部を土台にその上に木を植えて造る森だ。 これは、もの凄いスケールの大きな「プロジェクト」全容を読み解くには大変な時間も掛かるし、夢のあるお話でもあります。

既に、チームの設立記者会見も済み複数のT.V紹介に 主催者の「理事長:細川護煕元総理」 「副理事長:宮脇 昭 横浜国立大学名誉教授」出演などもあり「ing」付(進行形)のプロジェクトなのでご存じの方も多いことでしょうが見守っていきたい一件です。

「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」設立記者会見 2012.5.25

ホームページは此方→ http://greatforestwall.com/


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今はまだ途上を歩く 週のはじめに考える
東京新聞2012年7月8日


 大震災は、この国の迷いをあぶり出したのかもしれません。被災した人も、そうでない人たちも、今ともに途上を歩く。あの日から間もなく五百日。

 潮騒は、ここまで届きません。


 福島県いわき市鈴木富子さん(58)は、海辺で三十一年間営んできたカフェと自宅を、震災の津波で失いました。

 今はまだ仮住まい。しかし「このままで終わりたくない」と四月末、市内で店を再開することができました。

 常磐炭鉱の跡地に近い、JR湯本駅前の商店街。七坪の小さなカフェの名前は、以前と同じ「サーフィン」です。

ふと不安になる時間

 山ぎわの景色の中に、鈴木さんは可能な限り、海辺の店を再現しようと試みました。漆喰(しっくい)の白壁で明るい雰囲気を醸し出し、木枠の窓には、オレンジと青のステンドグラスをちりばめました。

 改装費用の半分は「仮店舗開設資金」として県から補助を受けました。あと半分は銀行からの借り入れです。

 白壁にパッチワークのタペストリーを飾っています。鈴木さんが、ひいおばあさんの着物をほどいて二年がかりで縫い上げました。

 被災から三カ月後、自宅があった場所から二キロ離れた海岸で、奇跡的に見つかりました。少し色あせてはいましたが。

 借金を背負って、毎日しゃかりきに働きながら、鈴木さんはふと不安になるそうです。

 「お客さんが戻ってくれるのは心底うれしい。でも私、今何でこんなに一生懸命、がんばっているんだろう」

 客足の途切れた海辺の店内で、窓越しに午後の日差しを浴びながら、パッチワークにいそしむ時間が、鈴木さんは大好きでした。

 被災後なぜか、パッチワークを作れません。作りたい気持ちはあっても手先が動いてくれません。

 「途上なのかなあ…」。鈴木さんは、つぶやきました。

 宮城県気仙沼港では六月六日、カツオの初水揚げがありました。
 漁港や市場だけではありません。氷屋さん、箱屋さん、運送屋さん、餌屋さん…。町の隅々まで根を張った「水産」という巨大なシステムが、その日から稼働し始めます。

 震災で港の市場が半分水没し、加工場が集まる南気仙沼地区も壊滅状態に陥りました。それでも、十五年連続カツオ水揚げ日本一の記録は途切れませんでした。水産のまちの誇りです。


カツオは来てくれた

 水産業の柱といわれる製氷工場は、年内に震災前の生産量を取り戻す見込みです。七十〜八十センチも沈下した地盤のかさ上げ、盛り土工事も、進んではいくでしょう。それでも、海の男は不信と不安を口にします。

 例えば加工団地を造る構想が、具体化しています。国や自治体が提示する補助金のメニューは豊富です。ところが、なかなか口にはできません。「来年の秋までに使いなさい」とか、難しい条件が、決まってついてくるからです。

 放射能風評被害は、去年よりひどくなっています。いきのいいカツオがせっかく市場に揚がっても、売れないと気持ちがなえてしまいます。心の溝にも、かさ上げ工事が必要です。
 気仙沼商工会議所副会頭の岡本寛さん(61)は「今年もカツオは来てくれた。とてもうれしい。けど少し疲れたなあ」と苦笑い。そして「まだ途上ですから…」と。

 時代の大きな変わり目を前にして、私たちは希望と不安を交互に感じているようです。被災地でも、それ以外でも、その点は同じなのかもしれません。先進国を気取っていても、私たちはまだ、途上で揺れているのでしょう。

 いわき市の鈴木さんは言いました。「社会って、パッチワークのようなものですね」

 三角や丸、四角いパターン(型)をデザインし、芯を入れ、裏地を張ってキルトにし、丁寧に大切に、小さなパターンをつなぎ合わせて作品を完成させる。

 被災地に学び、被災者に寄り添いながら、かけがえのない命を貴び、人と人とがこまやかに結び付き、原発に頼らなくてもびくともしない、「自治」というパターンをまず縫い上げる。

 それらを一つ、また一つ、強固につなぎ合わせると、「日本」という新しい作品が出来上がる。

また新たな頂上へ


 私たちはパッチワークを縫うように、着実に、胸を張り、左右の景色を確かめながら、途上を歩いていこうと思います。

 たとえそれが、これまでに経験したことのない、下り坂であったとしても。また次の頂に登る明日を楽しみに。


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◎.人災・お金に頼る保証 生き甲斐もやる気も「人」からそぎ取る人災。 どんな理屈を付けても「原発」は脱っしなければいけませんね。プロセスの必要なことは国民も解ってる、どんなリスクがあっても「脱」の方向性を確り示しロードマップの描ける真の政治家が欲しいですね。「日本にはもう居ない」なんて事はありません。「個の心を信じたい」! (keniti3545)

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