「keniti354の日記」since72:5月27日(日)晴れ11℃「東日本大震災」444日

*朝トレ:6時30分〜7時30分

5時30分起床自分の朝食のみ準備(冷蔵庫とチンで全て済みますが・・・)、今日のコースは少々露っぽい。久し振りにカラスが電線上に姿を見せている。我れの姿を確認すると直ぐに、お知らせの鳴き声を上げる。交信の鳴き声だ、お前も女房殿に報告?子育てに入ってるんだね? もう我れには警戒心も抱かない?一応の報告? 去年は騒がしいやり取りもあったと記憶しているよ。ま、確り見張り番してくれたまえご同輩!。

今日は、走の入らない速歩とインターバル・ストレッチの組み合わせ。おまけの「B下」メニュウー終了。行き会い人無し、倉井さん庭に「ドラム缶」の火はあった。家に戻って用意の朝食、暫く卵掛けご飯が食べられない(女房殿用意の冷蔵庫予定通り消化しなければならない)のでした。

*今朝の朝トレ、道行きは走なしの生ぬるい内容だったので孫、昂佑・友麻と昨夜電話の内容が蘇った。舎弟の友麻(小1)は50メートル走で一番だった事を得意げに、兄貴の昂佑(小4)は「リレーの順位に不満」かといってチームの女子を責める訳にも行かないしと言う様な思いが伝わってきたが、「サッカー」(団体競技)をやってるせいか成績の分析を「チームとして考える事」・「仲間を安易に責めない事」などが身について来てる様だ。頼もしい! 今度会ったらうんと褒めてやろう!

*洗濯一竿終了。 朝トレの報告を今日UPの記事に追記終了後野暮用消化にかかります。




*「東日本大震災」444日



今日の一題 「政府は結局どうしたいの」?  線量の絶対量が把握出来ているとすれば、日本中に均等に線量を拡散したいのでしょうか??  当面死ぬ様な恐れは起きません? ですか?


田中龍作ジャーナル

「九州で初めて放射性瓦礫が燃やされた日」2012年5月23日 22:54


    
宮城県石巻市から北九州市に到着した瓦礫。作業員がカッターでビニール袋を切り裂くと、土とカビが入り混じったような匂いが鼻をついた。=22日、北九州市日明積出基地。写真:筆者撮影=




 北九州市が放射性瓦礫を試験焼却した23日、市民の危機感は頂点に達した。前日、宮城県石巻市の瓦礫が搬入された日明焼却場(日明積出基地)の仮置き場ゲート前では、瓦礫が焼却工場に運び出されるのを阻止しようと、反対派10数人が立ちはだかった。ほとんどは前夜から仮置き場前に野宿した。

 警察隊は門扉を背にピケを張った。前日と似たような展開だ。トラックはゲートの内側で動けずにいる。「業務に支障をきたします。移動して下さい」。市環境局の職員が壊れた蓄音機のように繰り返した。

 「(トラックに)何が入ってるんですか?中味を見せて下さい」。反対派は頑として譲らない。

 30分ほどニラミ合うと警察隊はゲート前を退いた。反対派に譲歩したわけではない。今度はピケを張って道路をふさいだ。警察隊の後ろ側には別の搬出口があるのだった。

 瓦礫を積んだトラックは次々と斜向かいの焼却工場に走り込んで行った。前日が力づくだったのとは対照的に、警察はこの日、反対派のウラを巧くかいた。

 前夜、熊本市から駆け付けた男性は悔しさを隠しきれない。男性は家族と共に昨年6月、東京小金井市から熊本に避難した。「子供を守りたい一心で家も仕事も捨てて九州に来たのに放射能が追い駆けてきた。ここ(北九州)がやっちゃたら、どんどん行く。泣き寝入りしたらいけない」。



警察隊とニラミ合う反対派市民。警察隊の後ろには瓦礫を積んだトラックが停まったまま。=23日午前9時前、日明積出基地。写真:筆者撮影=

 警察は早朝から焼却場の500m手前でバリケードを設けて、関係者以外は立ち入れないようにした。瓦礫焼却に懸ける行政の意気込みがヒシと伝わる。

 日が昇って駆け付けた市民は焼却場に近づくこともできない。トラメガで懸命に訴える男性は山口市から足を運んだ。「子供たちの未来を守って下さい。放射能で汚さないで下さい」。

 男性は農業に従事している。「ジイちゃんもバアちゃんも畑をやっとるから放射能が飛んで来たら、せっかく育てた野菜がだめになる」と顔を曇らせた。

 市民が最も恐れるのは、やはり健康への被害だ。福岡市から訪れた男性(30代)は結婚したてのホヤホヤだ。妻は妊娠6ヵ月だという。「命を守りたいだけなんや。子供にも病気になってほしくない。命を粗末にするんやない」。男性は叫びながら、目の前の警察官にマスクをプレゼントした。

 前日、反対派の市民が瓦礫を積んできたトラックの傍で線量を測ったところ0・6μSv/時を記録した。計画的避難区域である福島県葛尾村の室内線量と同じ値だという。

 それでも北九州市環境局は「安全だ」と言い募る。焼却場手前で警察に阻止された反対派がシュプレヒコールをあげていた頃、市民約100人は市役所に詰めかけ市長と環境局幹部に面会を求めていた。
  《文・田中龍作/諏訪京》


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 ◎.悲しいですね、まるで日本各地で同胞が行政を相手にレベルの違う局地戦を行っている様だ? きれいな空気のもと、突然放射能が0.6μSv/hと測定値が出たらそれは大変な騒ぎですよ。此が当たり前、

ところが例えば我れの住む日光市細尾町 毎週我れが個人的に計測しているデータでも毎回と言っていいほど計測値のmaxには0.6μSv/h以上の値も捕まえて居ます。 それでも市内の除線対称区域には指定されません。 行政の示すデータと我れの示すデータは空間計測の高さが違いますがそもそも行政の地表1メートルというのは少しでも低い値を取りたい魂胆です。 

除染の意味の頭合わせを申し出ても受けてはもらえません。何を言いたいのかはもうお解りと思いますが、北九州市が「恐れる線量値」のもとで「311」からずっと生活し続けている人達が8県にも渡って実在していること。 しかももっとひどい事は年間20ミリシーベルトをも超えようという地域に子供達まで戻そうとする行政。 

既成の事実を無理矢理作り上げて低線量地域には貴方たちももう少しだけセシウムを引き受けて下さいと言っている様なものでしょう!!日本全体をくまなく汚染させるお膳立てをしているのでしょうか? 何のために? とにかく自分達の町を、村を汚さないで下さいと言っている住民が間違っているなどとは「間違っても言える事では無いでしょう」!!  (kenit3545)

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