「keniti3545の日記」since72:5月15日(火)雨8℃「東日本大震災」432日

*朝トレ:雨でした!


 *二日遅れの「母の日」  「突然・抜け駆けのサプライズ」!


女房殿と息子を同道、「雨」は好んで連れてきた訳ではないので勘弁して下さいお袋さん。動作の大様なお袋もさすがに「びっくり!してくれた」、お昼ご飯に出かけよう! えっ? 昨日スタッフの方には電話しておいたけどお袋には黙っていていきなりだ。三人が一緒に訪問は中々時間が合わず、お袋がびっくりするぐらいの久々なんだろう。


 特に孫には愛想が良い「カルシュウムセンベイに」無糖の「キャンディー」を出して接待だ。小一時間のおしゃべり、今日の記憶はポケットに確り整理してしまってある様だ。カナダ留学中の「ホームスティー」させていただいたポーズンさんの家族、特に長男の「Jeff」君、次男「Brad」君のことなどの話をすらすら言葉にした。最近は、家でも話題に上がる事の少ない思い出話に此方もびっくり! 


 頃合いを見計らっていざ出発向かった先は「回転寿司」屋さん、落語に出てくるお殿様の「目黒のサンマ」ではありませんが家のお袋さん92才にして「外食」で最後に連れて行かれたのが回転寿司?? とにかくお気に入りだった、そんなに遠くない昔です。


 車から降りて、店内の席に着くまで「SPが3名」万全の防御(介助)体制です。まぐろ、炙りビンチョウ、大トロ、サーモン、茶碗蒸し、フライドポテト、いちごのショートケーキ、(軍艦もの、巻物はのりが邪魔で苦手だ) 結構食べた普段より食欲も湧くらしい。 4人とも美味し〜く頂いたお昼ご飯でした! 雨で寄り道なしの帰路、また来ようねお婆ちゃんと孫に誘われて、調子が良かったら付き合うよ。と答えていました。 


 前もっての「お知らせなし」ならみんなの勢いに乗せられて連れ出せるよと言う事に、衆議一決。今日は孫子の作戦に乗せられたお袋でした。(前もって御機嫌伺い、予定など知らせたら当日の朝は3時頃から起き出して大変なんですがね・・・) 次回もこの作戦を実行しよう。 お袋さん「母の日おめでとうさん」でした! 





*「東日本大震災」432日



今日の一題 「日本政府の国民騙しは、終戦後の沖縄問題から続いている」


5月15日各紙社説読み比べ


朝日新聞ー1

沖縄復帰40年―まだそこにある不条理

40年もともに過ごせば、お互いの気持ちや痛みをわかりあえるものだ。しかし、きょう復帰40年を迎えた沖縄と本土との関係は、そうなっていない。朝日新聞沖縄タイムスの4月の

 ↓ 記事全文
http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=ad_list_google#Edit1

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朝日新聞ー2

沖縄復帰40年―めざせ、環境先進地

米軍基地の存在は、沖縄の経済的な自立を阻んできた。だが、県民総所得に占める軍用地料など基地関連収入の割合は年々、相対的に減っている。復帰時には16%あったが、いまや5%

 ↓ 記事全文
http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=ad_list_google#Edit2

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読売新聞社

沖縄復帰40年 経済と安保を両立させたい(5月15日付・読売社説)

 沖縄県はきょう、本土復帰40周年を迎える。

 宜野湾市で、野田首相三権の長仲井真弘多知事などが出席して記念式典が行われる。

 日本全体の米軍施設用地の74%が集中する過重な負担が続く中、政府はいかに経済振興と安全保障を両立させるかが問われる。

 政府は先週、今後10年間の第5次沖縄振興計画の基本方針を決定した。那覇空港の第2滑走路整備による国際物流拠点化が柱で、沖縄の自立的な経済発展を目指す内容だ。この方針に基づき、沖縄県がきょう振興計画を決定する。

 計画の策定主体を政府から沖縄県に変更したのは、妥当である。アジアに近接する地理的特性や国際性を生かした計画を着実に実行に移してもらいたい。

 過去の振興計画は「本土との格差是正」を掲げてきたが、県民1人当たりの所得は全国平均の7割前後にとどまる。製造業が育たず、県内総生産に占める割合は40年前の11%から4%に低下した。

 基地、公共事業、観光に頼る「3K経済」の構造が続き、政府予算への依存度も高い。

 民主党政権は、米軍普天間飛行場移設問題を迷走させた負い目もあり、今年度の沖縄振興予算を2937億円へ大幅に増やした。

 これを有効に使うためには、沖縄県と各市町村が、中長期的展望に立った振興策を企画し、自助努力を続けることが大切だ。

 自由度の高い一括交付金を活用し、社会資本や箱物の整備などハード中心だった予算の使途を、環境、福祉などソフト重視に見直すことも求められよう。

 最近は、中国の軍艦や政府船による尖閣諸島周辺などでの活動が恒常化している。中国海空軍の急速な増強と近代化を踏まえれば、今後、沖縄の安全保障面の地政学的重要性は一層大きくなる。

 政府は、この現実を直視し、自衛隊と米軍の防衛協力を基盤とする日米同盟の抑止力と実効性を堅持しなければならない。

 同時に、在沖縄海兵隊海外移転に伴う米軍施設の返還や日米地位協定の運用改善など、地元負担の軽減に全力を挙げる必要がある。普天間飛行場辺野古移設にも粘り強く取り組むべきだ。

 重要なのは、米軍施設跡地の有効利用を図ることだ。

 政府は、キャンプ瑞慶覧の住宅地区に最先端のがん治療施設を整備することを検討している。こうした事業を通じて、在日米軍再編への地元の理解を地道に広げることが欠かせない。

(2012年5月15日01時45分 読売新聞)


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◎. 相変わらずの読売さん、如何なる問題を取り上げるときでも、当事者への思いやりの弁など更々無く、常に上から目線、読者はどう受けとめるのだろうか?! (keniti3545)

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東京新聞社

沖縄施政権返還40周年いまだ「復帰」なし得ず

 一九七二年五月十五日、戦後、米軍による統治が続いていた沖縄の施政権は日本に返還された。以来四十年。沖縄は本当に日本に復帰したと言えるのか。 復帰当日の午前十時半、東京・九段の日本武道館那覇市民会館とをテレビ中継で結び、政府主催の沖縄復帰記念式典が始まった。

 ↓ 記事全文:

是非読売の論旨・論調と読み比べて下さい!http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012051502000109.html



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毎日新聞社

沖縄本土復帰40年 「差別」の声に向き合う

 戦後、長年にわたり米国の統治下にあった沖縄の施政権が日本に返還されて、15日で40年を迎えた。

 政府と沖縄県は共催で記念式典を開く。会場は、移設が難航する米軍普天間飛行場から約1キロ。政府と沖縄の間に横たわる基地問題の最大の懸案を眼前にしての催しとなる。

 式典には野田佳彦首相が出席し式辞を述べる。しかし、政府に向ける沖縄の視線は厳しさを増している。

 仲井真弘多沖縄県知事が、過重な米軍基地の負担を「差別」と表現したのは2年前だった。そして、今、同じ意識が県民に広がっている。本土復帰から節目となる年に、その言葉の重みを改めてかみしめたい。

 ↓ 全文は下記クリックでお読み下さい
http://mainichi.jp/opinion/news/20120515k0000m070131000c.html


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◎.読み比べ最後は手厳しい論調で、核心を突く箕面通信さんの記事です。


生き生き箕面通信1254(12.05.15)


普天間基地は国外へ移設を」と、沖縄県知事が当然の要求


 本日5月15日の沖縄本土"復帰"40周年記念式典で、仲井間・沖縄県知事は「普天間基地はあくまでも国外へ移設し、基地の早期返還を」と訴える、と伝えられています。当然の要求です。

野田政権は、自民党と一緒になって、いまでも「辺野古へ」と、何かの一つ覚えで繰り返しています。辺野古が無理なことは、アメリカの軍事委員会の大物議員も認めているところです。それでも、なお「辺野古」としか繰り返さない野田首相とその仲間の閣僚のウマ・シカさ加減にうんざりします。



 沖縄は1972年の「本土復帰」から今日で40年に当たるのですが、実は1952年のサンフランシスコ講和条約発効から60年という方が実態に即しています。もともと沖縄はれっきとした独立の「琉球王国」でした。それを江戸時代の島津藩が滅ぼして植民地としたのでした。

それ以来、一度もまともな本土並みの扱いは受けず、常に差別の歴史に甘んじてきました。それを改める最もいい機会は、実は日本が独立を回復した1952年でした。ところが、この時も沖縄だけは本土から切り離して、アメリカの統治下に据え置かれたのです。

このとき、当時の昭和天皇が占領軍のトップ、マッカーサー元帥に「沖縄の軍事占領の継続」を要望した「天皇メッセージ」が残されています。天皇は「象徴」どころか、最も重要な政治課題に介入したのです。




 「復帰」という言葉は本当はふさわしくないのです。復帰とは、もとの状態に戻ることですが、一度も本土並みの扱いはありませんでした。本日の朝日新聞に、「復帰と言わないで」という対談が15面に掲載されています。

ライターの知念ウシさんは「今も沖縄は本土じゃないし、歴史を振り返れば琉球国でした。適切な言葉はないかと考え、『施政権の日本移管』とか『日本の琉球再統合』と呼んでいます」と話しています。



 「犠牲のシステム」で名を知られる対談者の哲学者、高橋哲哉さんは、沖縄の基地負担の比率が現在は74%まで増えたことを指摘したうえで、「沖縄の人たちを犠牲にすることによって日米安保は成り立ち、日本は高度成長を達成した」と指摘しています。



 今日は、野田首相をはじめ、三権の長が沖縄の記念式典に出席します。アメリカのルース大使も。そして、沖縄の普天間基地の固定化を暗黙のうちに押しつけようとしています。もういい加減に、「沖縄の本土並み」を実現しなければならないはずです。

仲井真知事が「基地は沖縄から出ていけ。基地はすぐに返還しろ」と訴えるのは当たり前です。それに本気で答えるのが政治の役割です。


 そして、日本自身の守りは、日本人自身の手で行うのが当たり前です。アメリカさま頼みなどという甘えは、きっぱり捨て去りましょう。


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◎.政府はこの真っ向からの声を受けとめて前へ進む事が出来るのでしょうか!!? 出来なければ困ります! 戦後は終わったと言われて久しい今、「沖縄の人々が堪忍袋の緒が切れる思い」の訴えでしょう。

「フクシマ311」の被害者も「疑心暗鬼」自分達の放射能との50年・100年戦争に入った今一番悲惨な一極に全ての負荷を背負わせてしまう「政策」を、また画策される恐れが「なきにしもあらず」です。 我々全ての国民も物事の真実を見極め、声を上げ、「個」としての行動も起こせなければ世の中変わってはくれませんね。 (keniti3545)


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