「71才の365日」2月1日(水)曇り−7℃「東日本大震災」328日

*朝トレ:7時50分〜8時50分

スタートの玄関放射冷却の終了直後(本日の最低温度と記載される温度でしょう)−7℃、1時間後の帰還時0℃です。何を好んで、この時間に? これまでにも、我れ自身の覚えとして幾つかの理由らしき事(言い訳か?)を記して居ますので今日は省いておきます。

 クローズ中のコースへ入って三日目、スタート時間はこれまでの最遅延時刻8時50分のセット。我れ自身の繰り下げはこれ以上行わずとも日の出時間の早まりから帰路につく直前、「整理体操・ストレッチ」時には陽光が我れの体を幾分和ませる(暖める)。 

 不覚にも、朝トレ再開後この二日間で手指・足指に「凍傷モドキの」症状が出てしまい、陽光の温もりで「痛がゆく」なる。幼子の頃を思いだし、お袋の笑顔が浮かぶのは何とも・・・、今度は胸が痛がゆくなる。(母は存命、楽しい二人だけのお食事会もまだ出来ている) ”父逝って、母に重ねる、親孝行” 「はな垂れ小僧」本日、距離4kmの C級メニュー完。 往・復路、ともに行き会い人無し。  





*「東日本大震災」328日

今日の一題 川内村の村長はどんな覚悟を持って帰村宣言を行ったのか???!」

*先日のニュース番組で 「遠藤雄幸村長」が、「チェルノブイリ原発事故後の、今」を視察している映像を見ましたがその中のインタビューでこの村長が 「私たちも帰れる事を確信しました」とコメントしているのを驚きの思いで、目を疑いながら見ていましたが、この宣言です。

 あのニュースの映像を目にした方も多いと思いますが、子供達が自分の給食の直前にその盛りつけ済みのお膳のサンプルを自分達で線量検査をしているのです。校庭は何度除染しても、汚染度が(線量が)上がり未だに繰り返している、被爆による症例も増して居ることも当然。この様子を目の当たりにして尚、我々も帰れると確信した→間髪を入れずに帰村宣言!どんな理由付けても「常軌を逸している」としか言えません。

 これは、マスコミも取り上げないのは何故なんですか? 政府のてこ入れでこの宣言とか、マスコミ騒がせずに既成の事実を作り上げるために手を打っているとか? 


 二年後「セシウム134の半減期」を工程内に取り込んで除染の効果有りのアピール、こんな誤魔化しをしても住民の健康は蝕まれていき子供達が成人に達するときに何が待ち受けているのか?何としても今、帰村なんて考えるべき事ではありません。


 村長さん、貴方が親戚一同を呼び寄せて「村の存続」守って見せてくれますか? 「0.1μSv/h」以下の線量になるまで。 村長さんも出来ないなら、ほかの村民だって私たちがみんなが安心して戻れる環境になるまでお留守番致しますなんて言う人が居るとお思いですか? もしかしてもうそんな回し者までお金を使って東電さんが用意してくれましたか?とにかく、帰村宣言など即時、自分から撤回して下さい。


 一方でで、「村の存続」命の次に大切な事、我れも同感です。 「安全=命」を、最優先でみんなで考えましょうよ村の存続方法をどんなにお金が掛かろうと「東電」「国」に出させる戦いを村長さんはして下さい。国民も後押しします。うちが一番に帰ります、なんて村民誰のためにもなりませんよ!勿論村長さんのためにも・・・。 (keniti3545)





2012年02月01日 (NuclearF.C 原発のウソ)より
福一原発事故毎日新聞2/1 福島第1原発事故 川内帰村宣言 「自主判断」は無責任 村民に怒りも「子供の安全優先」

東京電力福島第1原発事故による避難自治体で初めて、福島県川内村が「帰村宣言」をした。だが、村民に歓迎ムードは薄い。子供の安全を考え、帰郷をためらう家族も多い。

郡山市仮設住宅に家族7人で暮らす関根孝行さん(36)は「子供2人の安全を考えて、当分戻るつもりはない」と話す一方、深い悩みももらした。村民の絆、友達同士の絆はどう守っていくのか。【深津誠、乾達】
 村立川内小2年の関根さんの長女(8)は今、仮設住宅から約8キロ離れた郡山市立河内(こうず)小に通う。川内小が間借りする形のため、村のスクールバスが送迎している。しかし、4月に川内小が村で再開すれば、河内小へのスクールバスは打ち切られる見込みだ。その後の送迎は親の負担となるが、ようやくなじんだ学校から転校させるのは忍びない。


 村にいたころから仲良しだった長女の友達2人のうち、村職員の子は帰村する予定で、もう1人は仮設から歩いて通える郡山市立小に転校するという。子供たちがばらばらになってしまう。

原発はまだ収束していない。本当に安全が確認される前の帰村宣言はおかしい。『自主判断』は無責任ではないか」と関根さんは憤る。


 原発事故前は、水道工事や農薬散布などを請け負う自営業だったが、仕事場の9割以上は、隣接する楢葉、富岡両町だった。警戒区域で住民のいない両町で仕事ができるはずもない。村は除染作業などで雇用を確保するというが、関根さんは言う。

放射線から逃げてきた私たちが、どうして放射線を浴びる仕事をしなければいけないんですか」


 一方の遠藤雄幸村長は「戻れる可能性があるなら、自分たちでそれを広げたいと思った」と31日の記者会見で帰村を決断した理由を語った。昨年11月にチェルノブイリ原発事故現場を視察し、長期避難を強いられている人々の姿を見て「まだやれることがあるなら、やった方がいい」と考えたという。「避難生活で都会の便利さに慣れ、補償や賠償で暮らしていると、働くことやふるさとに帰ることへの意欲が失われてしまう。村民が転んでも国や県は起こしてはくれない。村の人間が抱き上げていかなければならない」


 ◇周辺町村住民「まず除染情報を」
 周辺町村の住民からは「早過ぎでは」という声が相次ぐ。


 緊急時避難準備区域が解除された広野町は、役場の一部が町に戻り始めたが、人口約5500人のうち町内に戻ったのは約300人にとどまっている。自動車修理業、大須賀正久さん(61)は「自分は仕事があるから広野に残っているが、大半の人は仮設と自宅を行き来して暮らすのが精いっぱい。店や病院のない町に戻る人はほとんどいない」と話す。


 計画的避難区域警戒区域は、住民帰還のめども立っていない。葛尾村民で三春町の仮設住宅に暮らす畜産業、岩間政金さん(86)は「畜産を復活させるには土壌の除染が必要で、2〜3年は仮設で暮らしながら待つしかない」と話す。


 富岡町民で郡山市の借り上げ住宅に暮らす宮本めぐみさん(38)は「家と仕事がなければ戻れない。行政は帰還を急ぐより、除染の進捗(しんちょく)状況などの情報を提供してほしい」と訴えた。【中川聡子】


*マスコミが取り上げないのはおかしい?? 情報お持ちの方、教えて下さい! (keniti3545)