「71才の365日」12月8日(木)曇り1℃「東日本大震災」273日

*朝トレ:6時45分〜7時40分

寒暖計二日連続プラスの温度、コース前フィールドの枯れ芝(雑草)もふわふわと言うより、もやもや〜としている。コースへ入っても何かふにゃふにゃという「感じ」、靴底へは枯れ葉、腐葉土(?)がへばりつく「感じ」、パカパカという靴音も好きではないが今の状態が「ワースト1」かも。

 どんよりと重そうな曇り空。どうも最近は此処の「ロケーション」に、風物詩が消えてしまっているな〜。目に入る「動体」と「音」が消えてるんだな。 大きな要因は川に水の流れが一月もないことだ。国交省の出先事務所に問い合わせたら、水を止め、重機、ダンプの出入りは、この大谷川下流護岸工事用の、採石が目的と言うことであった。

 先日の強風で土手の桜木が根本から折れてしまったが、一本だけだ人の手が加わると最大90トン/秒の流量可能な川を10kmに亘って一月も止めてしまうのだ。いつまでか聞きそびれたが、周りの小鳥や、我れの待っている「サギ」などの渡り鳥も困ってるだろうな〜と思った。 

今日の消化メニューは強歩7本+走16本、目標に4KM に届かずのB級にて終了。 カラスに遠慮、2本いつものUターン箇所手前で折り返した。帰路神山さん、ジャッキー主従に行き会いお早うの挨拶交わせた。





*「東日本大震災」273日

今日の一題 日米開戦70年に考える 軍国少年からの忠告」
この記事に「311フクシマ」がダブル その理由は「どちらも人が起こした災害」だからだ! 今小学生の子供達が70年後に何を語らねばならないのか、見えてしまう! 我々大人は子供達の心と体の傷を少しでも小さくする努力をしていくしか道がない、少なくも、戦争の過ちは繰り返さなかった我々だ。解ってしまった「避けられない・守れない安全」の下でしか利用出来ない原発は我々の世代で止めておきましょう。 「原子村の皆さんも政府(大本営)の皆さんも諦めて下さい」! (keniti3545)


日米開戦70年に考える 軍国少年からの忠告 (2011年12月8日 東京新聞

 一九四一年の日米開戦から七十年を迎えた。無数の命を奪った戦争を繰り返してはなるまい。海軍兵学校に学んだ軍国少年たちは今、何を語るだろう。

 雨戸を開けたら、遠くの大阪湾が軍艦で満ちていた。三六年二月下旬だったという。芦屋(兵庫県)の山手に住んでいた上仲博さん(82)は当時、六歳だった。

 「後になり知ったのですが、二・二六事件が起こり、これを『反乱』と断じた海軍が、艦隊を東京湾と大阪湾に派遣したのです。軍艦を見たのは初めてでした」

◆国のための死は当然
 日中戦争が始まった翌年にあたる三八年五月には百隻を超える連合艦隊が大阪湾に集結した。

 「天皇陛下ご臨席の観艦式があったのです。夜は全艦が電飾で満ち、華やかでした。私の頭の中は軍艦、軍艦でいっぱいでした」

 日米戦争が始まった十二月八日は遠足の日だった。「国民学校」と呼ばれた小学六年の朝である。

 「出発の時、校長先生から戦争が始まったと聞きました。京都の天王山からの帰り道で、大阪の梅田駅に『ハワイ空襲』の号外が張り出してありました。『ついにやったか』と、それは快感でしたよ。友達と大興奮しました」

 まさに戦争一色で育った少年にも、その後の戦況悪化は察せられたという。四五年三月には東京に続き、大阪と神戸が空襲に遭った。芦屋の高台から大都会が焼けるのを目にした。旧制中学生のとき自ら選択したのが、海軍兵学校への入校だった。

 「その時分はお国のために死ぬのは当然でした。日本が追い詰められていたのですからね」

 海軍兵学校は海軍士官の養成機関であり、終戦の年の春に入校した上仲さんら七十八期は最後の海兵生にあたる。四千人を超える軍国少年たちは、全国から選ばれたエリート集団でもあった。

◆閉塞感を打ち破る戦果
 本紙は七十八期生の千四百人余りにアンケートを実施し、三百数十人から回答を得た。戦後になって、公務員や会社員、研究者、医師など各分野で活躍した人が多かった。高度成長の“牽引(けんいん)者”も既に八十代前半になった。

 千葉県の柳沢忠昭さんは「日米開戦の前に自分にも世間にも、もやもやとした空気があった」という。「日中戦争が泥沼化し、解決の見通しが立っていませんでした。物資不足など、国の統制で国民生活が圧迫されてもいました。鬱積(うっせき)が募っていたのです」

 この閉塞(へいそく)感を打ち破ったのが、日米開戦でもあったのだ。真珠湾での戦果に国民挙げて喝采した。圧倒的な国力の差がありながら、戦争に導いた責任は当然、政治や軍にあろう。国民の戦意をあおり立てた言論機関も、あらためて自責の念を深くせねばならない。

 アンケートで新憲法への感想を求めると、「理想主義で戦争はなくならないとの歴史の教えから賛成できません」(神奈川県の深川宗光さん)といった改憲論。「成立過程がどうであれ、九条は世界に通じる宝として守っていきたい」(大阪府の狩野輝男さん)などの護憲論に二分された。

 終戦で価値観が大転換したという人もいた。東京都の奥平耕造さんは「米英撃滅を叫んだ人がデモクラシーと言うのですから…。戦争そのものがいけないと思いました」と語った。三重県の梅田徹さんも「ノーモア軍国主義。戦争はもう御免」と綴(つづ)った。

 平和は人類の最大テーマである。われわれに課せられるのは戦争体験を風化させず、平和を守る責務であろう。平和をどう保つかが今後、試される。

 埼玉県の木暮賢三さんは改憲派だが、「歴史に学ばない民族は滅びるという格言どおり、歴史を踏まえ、アジア諸国と良識ある外交関係を保ちたい」と願う。

 確かに歴史は未来の教科書だ。外交は人の手をこぶしから、握手に変える古来の知恵である。

 福岡県の御筆吉則さんは「国連中心の全方位外交、国際貢献の不断の努力」を訴える。静岡県の児玉堅次郎さんは「世界の共同体の中で共存できるよう、役に立つ(日本の)特色を確立すべきではないか」と記した。

 現代の日本も先が見えない閉塞感が社会を覆っている。中国の台頭に向き合い、アジア諸国が軍拡にしのぎを削る中で、「日本はこのままでいいのか」と憂う声も高い。政治の力、言論の力、世論の力が問われるときだ。

ナショナリズムの台頭
 東京都の福地創太郎さんの手紙はこう語る。「かつての日本の戦争を正当化し、偏狭なナショナリズムの台頭がみられる。戦後民主主義の超克などと称して、事実上の否定に連なる動きが強い」

 新たな戦いに国民が快哉(かいさい)を叫ぶことがあってはならない。元軍国少年たちの体験に学びたい。




*「プラス1」もお読み下さい 進行中の戦争(原発事故)、新聞の社説に異議を唱える科学者

我れは、武田教授の「数値の分かり易い解説」「大括りで大切なことを記憶に焼き付けてくれる解説」が好きだ。この記事にも「勝手に赤字表示」は(keniti3545)です。


新聞の社説と私の考えの違い・・何が「無用」か? 武田邦彦教授」


リサイクルや温暖化の報道の時から、私は新聞の社説にはかなりの違和感をもっていた. 社説は「意見」を書くのだから、その人、その人によって違っても良いのだけれど、「意見」の前に「事実」があるのだから、あまりにも「事実」や「学問」に反する「意見」は科学者として同意できないところがあるからだ。

リサイクルなら、1)エントロピーの増大の原理に反していることについて新聞社内の科学者の意見を聞いたか、2)プラスチック材料は原則的に再利用できない、3)諸外国の状況はどうか、などは社説を書く前に必要なチェック項目だろう.

温暖化なら、1)伝熱工学の原理に反していないか、2)なぜ世界のほとんどの国が削減を使用としていないのか、3)温暖化は大したことが無いがそれをテコに省エネ技術などを進める方が良いと考えているなら、それを前面に出せないか、などを考慮する必要があるからだ。

・・・・・・・・・

その意味で、原発事故についての新聞の社説も違和感がある。最近の大新聞(読売)の社説(2011年12月4日)からピックアップすると、その論点は次のようなものである。1)被曝より野菜不足の方がダメージが大きい、2)1生100ミリだから1年1ミリはメヤスにしか過ぎない、3)無用な不安が拡散し続ける状況を放置しておくべきではない。

私から見ると、ムチャクチャな論旨だが、大新聞の社説だからそれなりの根拠はあるだろう。でも、到底、科学的とは考えられない。

まず第一に「野菜不足」は150ミリシーベルト程度の被曝と同等ということで、この社説の言う100ミリの被曝とほぼ同程度ということだ。しかし、現在の被曝の問題は、「5歳の子供が東電のミスで15歳でガンになるかどうか」が心配されているが、「野菜不足」の調査はその詳細が必ずしも明らかになっていないが、概略の報告を見ると全年齢を対象とした調査で、特に「忙しい都会のビジネスマンが野菜不足になる」という結果になっている. 

また、野菜不足は本人の注意に属することであり、被曝は強制的なリスクである。これまでのリスク研究によると、能動的リスクに対して受動的リスクの感度は約1000倍ということであり、野菜不足のリスクが被曝のリスクに比べて1000分の1であれば、その危険は「安心」という点で同等に感じられる.

また、今、心配されている子供、妊婦、女性などの問題と、都会のビジネスマンの比較はほとんど科学的には意味を持たない.たとえば、50歳以上の人は血圧が高いのでお風呂の事故が多いが、それと子供の被曝を比較して、「老人がお風呂で倒れる危険性と、子供が被曝してガンになる危険性が同程度」などという比較は科学ではない.

次に、1生100ベクレルということが事故後、急に出てきたが、放射線によるガンの発生メカニズム、人体の代謝、年齢による変化などを考慮すると、「1生100ベクレル」という根拠を見たことが無い。もっとも長い期間で5年であり、科学的根拠ばかりか法律的な根拠にも乏しい.

さらに、 「無用の不安が拡散しつづける」ということについて、「放置すべきではない」 という強い言葉を使っているが、この「無用の不安」というのは、1)法律で定められた1年1ミリシーベルト(食材を含む)以下の地域で不安を感じること、2)法律で定められた「管理区域」の中でもなにも防御がされていない地域で不安を感じること、さらに、3)法律に違反した1年5ミリ(セシウムのみ)の給食で不安に感じること、などの何を指しているのか不明瞭である.

内部被曝も入れた1年1ミリ以下の生活ができる場所で不安に感じるのは「無用」とまでは言えないが、やや過剰な心配かも知れない。しかし、現実に福島原発からの漏洩量が80京ベクレルと膨大なときに、それでも若干の不安を感じるのは清浄であり、「放置すべきでない」という表現は不適切と思う.

むしろ、法律で定められた限度を超えた危険な場所でお母さんが子どもの健康を心配することを「無用」ということなら、それは脱法行為を新聞の社説で主張するのだから、むしろ穏やかではない。

次に、1)管理区域を設定すべきところ、2)法律的に東電が除染すべきところ、さらには、3)給食に汚染された食材を使っている場合など、むしろ大新聞はそれについて国や東電、さらには教育委員会に対して厳しい指摘と取材が必要である。子供の発がんは被曝から短くても4年、標準的には10年なので、大新聞も法律を超えた被曝で10年後に発がんするかどうか判らないはずだ。

判らないことなのに、ハッキリした根拠を示さずに、また被曝量を限定せずに「無用の不安」と言うことを社説で言う見識を疑う. 科学技術立国として冷静で科学的な論評を望む。

(平成23年12月5日)武田邦彦教授