「71才の365日」7月26日(火)晴20℃ 「東日本大震災」138日

*朝トレ:6時〜7時15分

*玄関20℃だ、今日もベストコンディション! 久しぶりに元巨人の「絶好調男、中畑さん」にご挨拶がしたくなった。「絶好調です中畑さん!」久しぶりに前頭葉のテロップに映った中畑さんに一礼!

最近、(雨日入れたここ3、4日中に)myコースまでのフィールドが花も終わり、伸びきった野菊、その他雑草をきれいに刈り込み、もう「一面100メートルコース」が出現している。近隣のお方の「御奉仕」、ありがとう御座います。暫くは、クッション付きの「タータントラック」級の贅沢な感触です。

足下軽やかさに、電線上のチェックもなく「コースin」してしまったが、カラスの方から挨拶された「カアーカア」と、(もうチョット濁った声)「お早う!」なに、一人? 歩行2本目上り勾配で「居た?」「カブト雌」いつものスポット「ドングリの木、幹の部分高さ1、5メートル」、我れの「目」と「嗅覚?」捨てたもんじゃないな! と自画自賛しながらも今日は、「直ちにむしり取った」。 これで都合4匹目の捕獲だが、最初の鬼虫(クワガタ)に逃げられてしまい、そのときのトラウマが今は、我れに、見つけたら直ちに捕獲の行動を取らせる。 

さて大変だ、帽子を取ってカブトを入れ、汗拭きタオルで軽く押さえ込んだまま家へ走る。 これが思わぬきつい道行き(良いトレーニング)、普段80から100メートルまでの走しかしてないので、上り勾配400と後合わせて800メートルを短距離走の速度では走りきれない。それでも息せき切って玄関まで戻り、お勝手仕事中の女房殿を呼び出し、「かご、虫かご」と叫ぶ。

今日は、捕まえられたの?と涼しい声で、得意げな我れの顔をのぞき込んだ女房殿。我れは、鷹揚に虫かごを返し再びコースまで、今度は階段上れば下り勾配すいすいと足が出る。 コースまでに「カラス」の鳴き声、今日は良く鳴く。倉井さんと遠目の挨拶、「お早う御座います」。 6時20分ワン君に朝食を与えたところだ、今日はワン君早い朝食頂いた様子。いつもは大体7時前後だ。

脇の林の「ウグイスA君」の高鳴きも始まっている、「ホーホケキョ・ホーホーホケキョ・ホケキョケキョ」、続いて地鳴き「チュルルルル、チュチョチュチョ、チュルル、チュチョ」今日は目いっぱいだ!威嚇ではなく、振れ鳴きでもない移動せずに鳴いている。十分周囲への存在感は伝わっている。

川原を雀が群れ飛ぶ。川原から林へ、此方の林から川原中の林へと、中小の小鳥が目まぐるしいぐらいに飛び交う。久々の賑わい、走の半ば頃倉井さん家の青地に「猫」茶色、この家には「白黒のブチ」・「茶トラ」の二匹は居るが昨日、この日記には登場させなかったが実は同じ場所で黒、ブチでない猫も目に入った。

今日の「茶」、昨日の「黒」、他からのお客さんか、或いは我れの見間違いなのか? 我には自信も無いが、毎日のトレーニングのおかげで、「遠目」(山の稜線、鉄塔、木々の並び)と「近間小物の識別判断」(小鳥の識別、「カブト」、「クワガタ」、トンボ等の発見)に少々の改善ありと自負したい面も持ち合わせているが果たして?

カッコウ」聞こえず、「トンビ」も来ず(昨日、家からは目撃した)川の流れが増えている。 ダムの放流には目的により種々方法、量があり、生態系を崩さぬ様配慮もあるそうですが細かくは調べませんでした。 

帰路階段近く「ウグイスB君のエリヤ、葉のない高枝に中型鳥、飛び込み止まる。つがいで細い枝が「揺れる、々」勿論姿丸見え、通り過ぎても逃げない。オナガの「きれいさ」ないし、鳴き声が、「ギーギー」でもないし、「ギチギチ」でもない 「オナガ」、「モズ」でなければなんだろう? 暫く宿題。 もう一組お会いした、老犬散歩の神山さん「お早う御座います」。我れの時間帯が早まってから久しぶりのご対面だった。



*「東日本大震災

今日の一題

・「僕は『反原発』の立場で最後まで闘う」と俳優の山本太郎 (生き生き箕面通信961) 

 おはようございます。今年8月6日の広島原爆忌に、プロ野球広島対巨人の公式戦を53年ぶりに行い、平和に感謝するイベントが行われることになりました。5歳で被爆した元巨人の張本勲さんは「私は被ばく最後の世代として核廃絶を訴える義務がある」と訴えています(本日の読売新聞朝刊第2社会面より)
 
・「僕は『反原発』の立場で最後まで闘う」と俳優の山本太郎
 俳優・山本太郎はこう語っています。「文科省が、子供の年間被曝許容量を20ミリシーベルトと定めた時、国は本気で子供たちを見殺しにすることを決めたんだと確信したんです。目先の利益を優先、そのためなら国民が犠牲になっても仕方ないという日本政府の姿勢に、激しい怒りを覚えました。だが、自分は? 生活のため、と上げるべき声を上げていないのではないか」

 発売中の「週刊現代」(8月6日号)に4ページにわたる山本へのインタビュー記事が掲載されました。山本はそれまでもいろいろ悩んでいたそうですが、やはり芸能界から”干される”ことで生活が立ちいかなくなることを恐れて声を上げられなかった、と率直に語っています。しかし、堂々と主張し始めた時、涙があふれてきた。それは「何かを失うかも知れぬ不安、後悔の涙じゃない。これまで、本当の自分を押さえつけ、言うべきことも言えずにいた。声を上げた瞬間の涙は、本当の自分を取り戻した、解放の涙でした」「人間としての自分の本心が言えぬなら、そんな嘘くさい人生など生きていても仕方ない、と思ったんです」

 そして、すぐに反応があらわれ、7月、8月に予定されていたドラマからは降ろされた。

 「今は、草の根的な活動をこつこつ続けていくしかありません。先日も、都内の母親たちが主催する、放射能の危険性についての勉強会への参加を頼まれました。参加者は10人くらい。お茶会ですね。でも、引き受けますよ。そういった小さなムーブメントから発信し続け、世間の意識を少しずつ底上げし、本気で取り組む人を増やすことが大事だと思っていますから」

 今は福島県内の母子の避難・疎開を支援しているそうです。ブラックリストに載せられていても、「声がかかれば、俳優は続ける」つもり。「僕はもう、覚悟を決めています。一人でも、前を向いて進むだけです」


*覚悟は立派だと思います。こういう人が数多く出てくれる事も望みます。「個」の力で何処まで頑張れるかは疑問(心配)ですが頑張ってもらいたいと思います。 (keniti3545)