「71才の365日」7月17日(日)晴れ19℃ 「東日本大震災」129日

*朝トレ:5時30分〜7時

5時30分玄関19℃、ポカリスエット小ボトル1本持ってコースへ、Tシャツ・ハーフパンツから外気に当たる手足がヒンヤリ感じる。コースin前に「カラスご夫婦」には「ご挨拶」、既に電線で仲睦まじく・・・。脇の林はウグイス無し、「チッチー、チッチ、チッチー」独演(?)会、とにかく一色だ。川原の林ともやりとりあり、「繁茂木の葉の」「アーチ」我れの通過時待っていた様な連呼凄い威勢が良い。


「主(鬼)の居ぬ間の何とやらかい」? 数も結構なものだろうな?姿は見せない、雀ではない、宿題だ。今日は体調良いが脇腹に張り、時間はたっぷりあるので走を15本にして歩行・ストレッチを増そう。チョット余裕出たら珍しく、側頭葉から前頭葉にテロップが流れた。

これも珍しく、古い記憶でなく今考えていることだ、武田先生のブログの「反原発論調」が弱まってないか? の 自問・疑問に対する「模擬のアンサー」が流れていく、中には合点のいく物もあるが止め置けない。新に記憶するにはメモリーがいっぱいだ。「武田先生に」(君はアバウトな考え方が似合ってるし、それが精一杯なんだから余り頑張るなよ)と、言われた様な気がしたが、カラスが見かねて声掛けたのかも・・・。 

今日は「クワガタ」の木、帰路に見たが残念でした「0」。 堤防縁を倉井さん家の「ブチ」、草むらを「キジ君」と、遠目だけど並んであるって居るみたい。 川の流れ無し、カッコウも聞こえず行き会い人無し。



*「東日本大震災」129日

「今日の一題」
下記:昨日に連動 + 我れの愚見


「なぜか?原発を動かしたい人の考え」 (武田邦彦先生)

先日、「どうしても原発を動かしたい人にお願い」という文章を書いたので、多くの読者の方から「原発に賛成するのか!」というお叱りを受けた。

私は科学者として次のように考えている。

1) 科学者は社会の代表者ではない、

2) 科学者は自分の作品に愛着を持ってしまう、

3) だから、科学者は作品をショーウィンドウに飾って、そこに説明書をつけるだけにして、みずからは作品に対して価値観を持たない方がよい。

私なら原発をショーウィンドウに飾って、次のような説明書をつけるだろう。

「高い効率で電気を起こすことができるが、震度6以上で壊れて、放射性物質が漏れ、国民が被爆すると予想される製品」

この説明は科学的には事実として正しい。

青森から石川県に至る東日本の原発発電所)7カ所でこのようなことが起こり、その確率は100%だったからだ(下に資料)。

「それでは、先生は原発反対派ですか?」

と聞かれると私はやや戸惑う。個人としては価値観を持っているが、それを表に出すべきか躊躇する。

「反対派というか・・・」

と歯切れが悪い。

震度6で壊れますから、あまりお勧めできません」

と言うだろう。

・・・・・・・・・

原発を使うのはあくまでも社会だ。エアコン、自動車、新幹線、携帯電話・・・どれも長所もあれば欠点もある。

でも、科学の産物を使うかどうかはあくまでも社会の選択であり、科学は正直に、できるだけ正確に解説することが第一の役割だろうと私は思っている。

科学にとって価値観は危ない。

・・・・・・・・・

ところで、「どうしても原発を動かしたい人」と、「なんとなく原発を動かさないと不安だという人」がいる。

その人に「なぜ、原発を動かしたいのですか?」と聞いてみると、

1) 福島の事故は特殊で、今後は起こらない、

2) 他の原発の事故は軽微だから、問題はない、

というご意見が多いようだ。

この2つ意外に「電気は必要だから、原発は安全だ」というご意見もあるけれど、これは論理が外れているので、ここでは検討しない。

第一の点、福島原発事故は特殊であるというのは、科学的には合意できない。

大事故は、それより小さな事故が何回かあると、確率的に起こるものだから、原発震度6地震で必ず破壊されていると、そのうち、大事故が起こる。

第二の点も同じで、原発では小さな(小さくても重要な)事故が多発している。だから、震度6地震で破壊されるのは偶然ではないと考えるのが正しい。

つまり、今回の福島原発の事故は、小さな原発事故の集積で震度6での破壊が起こり、その破壊が続くと大事故が起こるという科学の王道、そのものだからだ。

でも、原発を動かしたいという人は「このぐらいの事故は建築基準法などの概念から言えば、普通だ」と言っている。

・・・・・・・・・

(参考)

公表されたり、隠蔽がわかったものの大きな事故。これ以上に隠蔽に成功した事故も多いと推定される(約30基)。

1. 東通原発(1基)
2011年4月。震度4の余震で全電源が落ちる。

2. 女川原発(3基)
1998年7月。制御棒2本が抜ける。
2005年8月。宮城県南部地震で想定外の揺れ。希硫酸タンクが破壊。
2007年6月。制御棒8本が抜ける。
2010年12月。制御棒から放射性物質漏れ。
2011年3月。東日本大震災で1号機、2号機が電源破壊。重油タンク倒壊。20カ所水漏れ。

3. 福島第一(6基)
1978年11月。臨界事故。制御棒5本が抜ける。隠蔽。
1990年9月。原子炉圧力上昇事故。
1998年2月。制御棒137本が脱落。
2011年3月。(大事故)

4. 福島第二(4基)
1989年1月。循環ポンプ故障。2年間停止。
1997年12月。制御棒動作不良。
2011年3月。東日本大震災で海水取り込みポンプ破壊。レベル3。

5. 東海第二(1基)
1997年7月。非常用電源故障。原子炉停止。
2000年12月。循環ポンプ故障。原子炉停止。
2002年4月。落雷によって原子炉停止。再開に失敗。
2011年3月。東日本大震災放射性物質を含む廃液が漏洩。

6. 柏崎刈羽(7基)
1992年2月。タービン異常。原発停止。隠蔽。
2007年7月。中越沖地震震度6)で変圧器火災。原子炉内破壊

7. 志賀(2基)
1999年6月。臨界事故。データ改ざん。2007年まで隠蔽。
2004年6月。タービンにヒビ。
2007年3月。能登半島地震で燃料貯蔵プールの水が飛散。
2009年4月。気体廃棄物通常の300倍に。

平成23年7月16日 午前8時 執筆)武田邦彦



「武田先生過去のブログ反原発強論調抜粋」

・6月28日:「いいかげんな専門家」
原発無くてもエネルギー資源はまったく問題ない。

◎「福島原発を機に、私たちは明るい未来を見よう」。 と結んでいます。



・6月27日:「健康をどのようにして回復するか」

◎これまで日本人は「原爆の被害者」でしたから、「被曝の被害者」でもありました。でも、今回の福島原発の事故によって「被曝の加害者」になったことも同時によく考えた方が良いと思います.

◎特に子供達は、夏休みは放射線の低いところで何日間かをのんびり過ごさせたい。



・6月25日:子供時代のエネルギー (1、2、3)

子供の時代のエネルギー
(1) 恩師の手紙:「資源は枯渇する」という考えを変えることも出来る。 (6月17日)


子供の時代のエネルギー
(2) メドウスの「成長の限界」は本当だったか? (6月19日)

「これまで無限に成長できると考えていた方がおかしい.地球は有限だからこのまま成長を続けていると21世紀の初めには人類に文明は崩壊する」と、メドウスが警告したのです.私もすっかり「これほど消費が増えたら、確かに地球はもたないだろうな」と単純に考えてしまいました。

40年が80年になったのかも知れませんが、とにかくもっと腰を落ち着けてじっくり考えなければならない問題である。

子供の時代のエネルギー
(3) 将来は楽観的

私が原子力研究に身を投じた頃、エネルギーの未来は暗く描かれていました。

でも、恩師の手紙もあり、それからジックリと考えてみますと、「エネルギーが枯渇する」というのは単に石油や石炭の価格を高く保つための商業的なことで、それにのせられた自分を反省したものです。

「人体に対する放射線の影響」、「事故が起こったときの救命ボート」などが明確ではない段階で、原子力を実用化したのは時期尚早だったと反省するようになりました。

この宇宙のエネルギーのほとんどは原子力ですから、やがて人類が原子力を安全に使うことが出来る時代が来るでしょうが、それは「ウソをついてまで」実施することではないと思います。

石油や石炭は十分にあるのですから、資源など気にせず、少し節約をしながらゆったりと過ごし、

「日本の山紫水明、四季折々を楽しむ」

「愛する家族、信頼できる友、誠実な社会、誇りの持てる日本」

「働いて普通に生活する党」

「明日は今日より少し良くなるという希望」

を持って明るく、楽しく、静かに、張り切って生活を送りたいものです。
平成23年6月25日 午前9時 執筆)竹田邦彦



 (keniti3545) の愚見

*武田先生が7月16日ブログの「書き起こし」に、「どうしても原発を動かしたい人にお願い」という文章を書いたので、多くの読者の方から「原発に賛成するのか!」というお叱りを受けた。 と記している。


実は、我れも7月5日の日記に *武田先生の論調が弱まっている様な気がしますが・・・? (keniti3545) とコメントとして残しましたが。 下記日付の先生のブログにも決して「脱原発」への賛意等は言葉としてはありませんが「こんな危険が何時でも起こる可能性がある」のが「原発」と捉えて居ることは否めない事実と思われます。


その論拠を更に煮詰めた言い方をすれば、1、震度6で必ず故障は起きます 2、震度6以上の地震はこれからも必ず起きます3、ヒューマンエラーは必ず起きます 4、事故は必ず起きます 5、今回クラスの原発事故では、50年・100年単位の後処理時間が掛かる→人が住み着かなくなる 6、汚染廃棄物のお守りを100年単位で行わなければならず、その量は増え続ける 7、放射能物質を無毒化することは出来ない 8、癌を初めDNA破壊による奇病の多発がある 


*今や素人の知識でも数え上げることの出来るほどリスクの数は多く・大きい。既に負の遺産を背負ってしまった我々がこれ以上世代をまたぐ負の遺産を上積みすることが許される事なのか?方法はいずれにせよ脱原発は国民の願いだ。


問題をクリヤーしたらやればよいと言うのは狡猾な抜け道を造る種を蒔いておく様な物だ。原子力学者は育てればよい、必要なだけ!学問の道は閉ざす必要はない。 ひたすら、潔い科学者の潔い姿勢は堅持されるべきだと思います。