「keniti3545」since72:11月20日(火)晴れ6℃「東日本大震災」「311フクシマ」621日 今日の一題「侮辱とウソ(甘え)」
*朝トレ:昼時「サ・ン・ポ」になってしまいました。(40分の歩行訓練?)
*線量測定日(毎週火曜日)
◎.全てのデータ (原則)地表2cmの測定とする1点6回の測定:高順位値2点の記録
東:自宅外(から)距離 30m 堤防上
北:自宅外(裏)空き地、雑草有り、西北に防風林有り、
南:自宅敷地内ベランダ(ブロック塀あり)
西:自宅敷地内雨樋下
M:細尾町モデルセンター庭
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(11月13日)前週の測定値
東:0.32 0.28μSv/h 西:0.27 0.23μSv/h 南:0.57 0.54μSv/h 北:0.23 0.19μSv/h
M:0.37 0.30μSv/h
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↓ (2012.11.20)
11月20日 本日の測定9時30分〜10時30分
東:0.30 0.27μSv/h 西:0.18 0.18μSv/h 南:0.57 0.54μSv/h 北:0.19 0.17μSv/h
M:0.27 0.16μSv/h
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今回の条件、天候(曇り)(風弱)気温18℃
◎.ホットスポットは今回も、南:max=0.57μSv/h
◎.測定ポイント5点:各々平均値の、『平均値』= 0.23μSv/h
◎.『測定開始日&測定値=2011.11.22 [0.19μSv/h]』
『前8週との平均値比較』
単位:μSv/h
日付2012・11月・20日
9/25 9/02 10/09 10/16 10/23 10/30 10/06 11/13 11/20
8週前 7週前 6週前 5週前 4週前 3週前 2週前 1週前 本日
0.26 0.27 0.26 0.29 0.25 0.27 0.32 0.26 0.23
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「今回の 特記」
◎.「平均値」0.23は今8週中最小値だ。 しかし、ホットスポットのmax=0.57μSv/h は先週と全くの同値、但し、国の外部被爆年間「1ミリシーベルト」未満という基準から見れば「0.23μSv/h」以上の除染区域ととなる。 (我れの測定位置は地表2センチメートルは既報の通り)
↓ 先週のコメントはもう一週残します
◎.最近は低線量被爆に関する事例も報告されており、また低線量被爆に於いて閾値はなく目安とする体外排出の時間を経過しても体内循環が起きる可能性があるとも言われている。外的条件も決して大幅に好転することは望めないので特に子供さんに対してはご両親を初めお爺ちゃんお婆ちゃんが率先して注意喚起を促せるように正しい情報の共有に心がけて欲しいと思います。
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*「東日本大震災」「311フクシマ」621日
今日の一題 「18日・19日ブログ離れた日を振り返っての思い二つ」
(1)東京新聞社説2012年11月18日
週のはじめに考える 私たちを侮辱するな
見出しの「侮辱」とは極めて強い言葉です。ひどい扱いを受けた者の発する言葉です。政治にせよ、原発にせよ、私たち国民は、侮辱されてはいないか。
手元に一通の手紙があります。学校で国語を担当されていた元先生からです。この夏、東京であった脱原発の市民集会に出かけた時のことが記されていました。
こんな内容です。
…何人もの演説の中、一番心に響いたのは作家の大江健三郎さんが述べた 「私たちは侮辱の中に生きている」という言葉でした。
◆大江さんのスピーチ
その言葉は、大江さんも紹介していたそうですが、福井生まれの昭和の作家、中野重治の短編小説にある文句です。中野はプロレタリア文学で知られ、大戦前の思想統制では自身も激しい国家弾圧に遭っています。 その短編小説は、昭和三(一九二八)年、全日本無産者芸術連盟(略称ナップ)の機関誌に掲載された「春さきの風」。検挙された同志家族をモデルにしています。
思想をとがめられた検束で父とともに母と赤ん坊も警察署に連行される。その赤ちゃんの具合が悪くなる。ろくな手当ても受けられずに亡くなってしまう。母親はもちろん医師を頼みましたが、無視された。理由のない平手打ちを受けるばかり。
小説はそれらの動きを、きびきびとした文体で描き、最後は母親が留置場の夫に手紙を書く場面で締めくくられます。
母親は砂を巻く春風の音の中、死んだ赤ん坊はケシ粒のように小さいと思う。そしてこう書く。
「わたしらは侮辱のなかに生きています。」 (「中野重治全集第一巻」筑摩書房より)
中野重治が実体験として記した侮辱という言葉、また大江さんが原発に反対する集会で引いた侮辱という言葉、その意味は、もうお分かりでしょう。
◆デモクラシーの軽視 権力が民衆を、国家が国民を、ほとんど人間扱いしていないのではないかという表現にちがいありません。
つまり倫理違反なのです。
先日、東京電力は、原発事故時のテレビ会議記録を新たに公開した。二回目の公開です。
その中に自家用車のバッテリーを集めるというやりとりがありました。原子炉の圧力が上昇し、蒸気逃がし弁を動かすためバッテリーをつないで電源を確保しようというのです。しかも足りなくて買うお金にも困る。
備えも何もなかったわけですから、社員らの苦労も分かります。しかし、これを知った福島の被災者らはどう思ったでしょう。
東電も国も、その程度の取り組みと真剣さしかなかったのか。住民の守り方とはそのぐらいのものだったのか。言い換えれば、それは侮辱に等しいでしょう。
侮辱は継続しています。しかもデモクラシー、民主主義の軽視という形で。
原発で言えば、大飯の再稼働はろくな検証もなく、電気が足りなくなりそうだという理由だけで決まりました。国民の安全がかかわる問題なのに、これほど非民主的な決定は前例がないでしょう。
沖縄へのオスプレイ配備も、米兵事件に対するその場しのぎの対応も侮辱にほかなりません。 国家が人間を軽視しているのです。
原発から離れれば、一票の格差を放置してきた国会とは、デモクラシーの不在も同然です。立法府だけではなく、最高裁が「違憲状態」と判示しつつ、違憲であると踏み込めなかったことは、憲法の番人としての責務を果たしえたか。疑問は残ります。
今の政治には、ほとほとあきれたと多くの人が口にします。それはおそらくはデモクラシーの軽視に起因していることで、国民は自分の権利の蹂躙(じゅうりん)を痛々しく感じているのです。政治に侮辱されていると言ってもいいでしょう。
その状況を変えるには、何より変えようという意思を各人がもつことです。デモや集会はその表れの一つであり、選挙こそはその重要な手段です。
◆戦うべき相手はだれ
冒頭の国語の先生の手紙は今、自分の抱える恐ろしさをこんなふうに表していました。
…(中野重治の)戦前と違って現代は戦うべき相手の姿が明確に浮かび上がらない分、かえって恐ろしさを感じます…。
戦うべき相手は広範で、しかも悪賢く、しっぽすらつかませないかもしれません。政財官などにまたがる、もやもやとした霧のようなものかもしれない。
しかし、こう思ってその相手を見つけようではありませんか。 一体だれが私を侮辱しているのか、と。私たち自身の中にそれは忍び込んでいないか、と。投票の前に見つけようではありませんか。
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(keniti3545)
◎選挙を前にマスコミのアンケートには国民の要望は「生活の安定が一位」は、当然のことながら「脱原発へ願いはどのアンケートでも10位以内の後半」。今は目に見える圧力こそないが、電気が足らなくなるぞ、アメリカの言うことを聞かなければ世界の国々との貿易に大きな不利益を被るぞ、尖閣問題はどうするんだ。
等々、政治屋の選挙運動に惑わされ、結局国民のコンセンサスとしての「脱原発」思想が「雲散霧消」化される恐れさえある。これは正に「大きな侮辱」、選挙の結果では、東京新聞が言うように「自分自身を侮辱する」事になりかねない。
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(2)Cangaelさん17日の記事 から http://d.hatena.ne.jp/cangael/20121117/1353109731
植田和弘氏(環境経済学の専門家で京都大学大学院教授) 国谷さんの問いに答えて
ー10月1日NHKクローズアップ現代「原発は産業廃棄物処理法違反の存在」から抜粋
ーーむしろ暫定保管という考え方はこの二つの点である種積極的意味をもっている。 1つは、暫定保管の間に議論を積み重ねて解決の方向性を見出そうという国民的議論のための時間を作る。 もう1つは、実際に地層処分するためには研究が必要、調査が必要、出来れば放射能の影響をもっと小さく出来るような技術の開発の時間もありますから。ーー
(色文字・拡大変換はkeniti3545)
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(keniti3545)
*.この考え方が大きな「つけ」を更に増幅していくことになる!「そのうち科学・技術が解決策を見いだしてくれるだろう」の甘い考え、今方法がなければ一時的にも「産む事を止める事」が、ただ一つの解決策の筈。 「甘え続けて溜めた核のゴミ」、とにかく40年も掛けて大掃除をしなければならない!
止めてもゴミは生まれ続ける、そのゴミを方付けるだけでも四苦八苦の筈だ。どんな方法を採っても原発を稼働すれば、「高レベル汚染・低レベル汚染」共に「核廃棄物」は増え続ける事は誰にも解っていることだ、科学者も政治家も(政治屋も)自分を誤魔化すことを止めてくれ〜と叫びたい!
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