「71才の365日」10月11日(火)「東日本大震災」215日

*朝トレ:6時30分〜7時30分

『寒暖計』は丁度10℃我の体感・調整温度の分かれ目。10℃未満であれば『寒』10℃以上であれば『暖』、ずっと二桁の季節、又は、ずっと一桁の季節は我も「温度計」と呼ぶ。 今の季節、毎年玄関での温度計は『寒暖計』」と呼称が変わり女房殿には怪訝な顔をされている。

絶好調です!今日も走「20本入りの上級メニュー」でした。今日は、アバウトな「前頭葉のテロップ」が回っていました。昨夜の「ニュース.ウオッチ9」で、ウオーキングの解説中、女性キャスターが(名前覚えなくすいません)ストレッチで太ももの筋肉のストレッチを片足「2呼間」両足これを5分程正規の姿勢を取らされたらそれだけで汗をかいていました。

これは、走る動作の一部を切り取ったに過ぎないのですから、如何に、「走るという動作が理に叶った全身運動であるかお解り頂けると思います」。このキャスターが指導終了時にこの程度のウオーキングを毎日続ければ貴女の体調はこれから先、今の30代の体調を、

40代、50代、60代までも保てますよ。とお褒めの言葉を頂いたら、番組エンディング前に「大腰キャスターが満面の笑いを堪えて」あれだけで60代迄の体調保証されれば、・・・ちょっと聞き取れませんでしたが、スポーツ系出身の大腰キャスターにしては「ちょっと」オトナゲ無いな〜。と、思いながらも、我れも少々不謹慎に笑い声を出しました。 でも女性キャスターはやる気でしたよ。頑張ってもらいたいと思います! 我れのようなアバウト人間でも出来るのですから。 帰路の、フィールド枯れたススキが気の毒に見えるぐらい我は好調、行き会い人無し!



日光市線量計貸し出しに当たって市役所問い合わせ結果と申し入れ事項

 ・予定通り12日から貸し出し
1、貸し出しヶ所:市庁舎、各支所、出張所等・計16ヶ所

2、貸出総数:23ヶ → 23ヶ/90,611人 同時間に全数貸し出す事はないだろうが 1ヶ/3,940人=約 1ヶ4,000人 1日2回の貸し出しにすると言っているがそれでも1ヶを2,000人で、扱う? → 必要に応じて増数も考えて下さい。

3、暫定基準値越え、或いは近似値に遭遇した場合の報告の義務はないのか? また、その発見の報告に対して市は、即時再計測、更に除染等へ結びつける仕組みはあるのか。 → 「個の力」を「行政ののアクションに是非結びつけて下さい。」 

◎形だけの、非常時にも役に立たない施策なら初めから無駄なお金(税金)は使わないでもらいたいですから。 (kenit3545)  




*「東日本大震災」215日

今日の一題 「戦争がなければ平和でしょうか」

(生き生き箕面通信1037 ・「戦争がなければ平和でしょうか」)
 (2011-10-11 06:44:45 | 日記)


東日本大震災から今日で7か月も経ちました。しかし、放射能汚染土の除染すらまだ進んでいない地域が多く残っています。政府のこの怠慢! 

・「戦争がなければ平和でしょうか」

 「日本は平和でしょうか。平和とはどんな状態でしょうか」と、安斎育郎さん。昨日、箕面駅前のサンプラザで開かれた脱原発」をめざす講演会で講師の安斎さんがまず問いかけました。
 日本は60年以上、直接的には戦争をしていません。曲がりなりにも「平和国家」として世界的に認められているのではないでしょうか。 しかし、安斎さんは「イラク戦争での一般市民の死亡者数は15万人。同じ時期に日本の自殺者数は20万人でした」という数字を挙げました。

 「平和とは、暴力のない状態です。そして、暴力にはさまざまな形があります。戦争や殺人などの直接的暴力。飢餓、貧困、人権抑圧などの構造的暴力や文化的暴力。飢え死にする人が世界で4秒に一人の割合と見られてます」

 なぜ核兵器はなくならないのか――。「力で支配しようとするためです」。暴力の究極の形が核兵器であり、平和を実現するためには、核兵器をなくすよりほかにみちはない。

 原子力発電も、原理は原爆と同じ。
 ところで、主として福島県放射能汚染地対策をどうするか。「フクシマを人類に貢献する『研究地』として活用することを考えてはどうか。小鳥や昆虫などを含め、原子力に関するあらゆるデータを研究する場所として活用すべきと提案したい」

 放射能汚染対策としては、「汚染土の蓄積場として、広大な土地を確保し、その周りを高い、分厚いコンクリート壁で遮蔽、屋根は太陽光パネルで覆う施設を造ればいい」。被災地の人々の心情に最大の配慮が必要ですが、一方では人類に貴重な資料を提供してくれる「素材」があることも事実。フクシマの人々にも理解してもらえる余地があるのではないかと思いました。

 「原発」の本質は、「暴力」です。普段は目につかない。普段は人間に役に立っているような格好を見せる。しかし、本質は変わっていない。だから、ある時、その本性をあらわにする。原発はなくさなければならない。「脱原発」を貫きましょう。



「人類に貢献する研究地」にしては、と言う提案もよく分かりますが、今、一番の問題は、「フクシマの人達」がここに「住みたい」という気持ちに何を持って代替出来るのでしょうか!? 

巷には、「対岸のなんとやら、と、未だに原発神話を捨てきれない人達もまだいます」が、これらの人々に原発の恐ろしさ(放射能の恐ろしさはとうに理解している知識人の中にも、我が身に直接の類が及ばなかった今回の事故で、自身の利害関係のみから幻の神話を捨てきれないでいる人達に、本当の恐ろしさ・被害は、これから更に大きくなっていく事を)を解らせるのは我々国民です。が、

今、故郷を捨てがたく悩む人の思いを汲めるのは誰なんでしょうか!? 本当に、同胞の苦しみを我々の行動で示さなければならない時だと思います。それは取りも直さず「脱原発」を国民総意の決断として世界に知らしめ、歩き始める事です。それからでしょう、皆さんが住んでいた土地を「人類に貢献する研究地」にさせて下さいと言い切れるのは。(keniti3545)